写真 写真:伊賀八幡宮にある教国稲荷社にかわいい狐さんが登場。 伊賀八幡宮にある教国稲荷社にかわいい狐さんが登場しました。稲荷社の鳥居の奥にある社殿の両脇には、前から巻物を口にくわえた怖そうな先輩の狐さんがいますがこんど新しく、鳥居の正面に登場した新しい狐さんは、伊賀八幡宮の駐車場の整備に併せて社殿や鳥... 2023.07.12 写真徳川家康神社
写真 伊賀八幡宮の蓮の花が咲き始めました。2023.7.02@岡崎市 伊賀八幡宮の蓮が咲き始めました。6月初旬に様子を見に行ったときには、まだ葉が少なくて背丈も低かったので蓮池の水面がところどころ空を映していました。ひと月後におとずれると、蓮の葉が大きく密集して人の背の高さまほどになっていました。今では、蓮のつぼみや花があちらこちらで大きな葉の間から顔を出しています。 2023.07.03 写真徳川家康神社風景
写真 伊賀八幡宮に蓮の様子を確かめに行ったのは6月初旬です。蓮のつぼみも見られず花はまだでした。@岡崎市 伊賀八幡宮の蓮の花の様子を確かめに行ったのは6月初旬です。とても残念ですが蓮のつぼみも見られず花はまだでした。とはいうものの、日に照らされた蓮の葉に強い勢いを感じます。蓮が成長しているので、辺り一面にパワーを放っている感じがします。この不思... 2023.06.29 写真徳川家康歴史神社
写真 写真:信玄包囲も定盈は籠城奮戦。2万7千の兵に包囲されながらも籠城。400の兵でひと月を持ちこたえた。信玄はここで鉄砲に撃たれ、しばらくして亡くなったと伝えられている。@新城市 信玄包囲も定盈籠城奮戦 2023.05.11 写真城徳川家康歴史
写真 写真:伊賀八幡宮は1470年に松平四代の松平親忠公が社(やしろ)を伊賀の国より三州額田郡井田村に移したことにはじまります。ピンチを乗り越えて勝利に導くパワースポットです。@岡崎市 伊賀八幡宮は、1470年に松平4代の松平親忠(ちかただ)公が松平家の氏神として、武運長久、子孫繁栄を祈願するため、三重県の伊賀より三州額田郡井田村に移したのにはじまる。伊賀にちなんで伊賀八幡宮とよび、地名も伊賀と改めた。 2023.05.07 写真徳川家康神社風景
写真 隣松寺に仁王像を撮りに行ってきた。遠くに恵那山、御嶽山が、近くには猿投山が見えています。@豊田市 隣松寺仁王像に挨拶に行ってきた。遠くには恵那山、御嶽山が、近くには見慣れた猿投山が見えています。左の山が猿投山、白い建物の上に白い頂をほんの少し見せているのが御嶽山、右の高速道路の白い橋脚の向こうに見えるのが恵那山です。200年ほど前に、三河の田舎のそれも矢作川の後背湿地に都と天皇に関わりがある寺が建てられたのは驚きです 2022.12.28 写真徳川家康歴史神社
写真 写真:松平郷の領主は在原氏でした。そこに松平氏の始祖となる親氏が婿に入りました。徳川家康の八代前のことです。在原信重が松平太郎左衛門を名乗っていたので、婿の親氏は松平太郎左衛門の名と在原氏の家督を受継ぎ急速に勢力を拡大します。@豊田市 松平郷の領主は在原氏でした。そこに松平氏の始祖となる親氏が婿に入りました。徳川家康の八代前のことです。在原信重が松平太郎左衛門を名乗っていたので、婿の親氏は松平太郎左衛門の名と在原氏の家督を相続し急速に勢力を拡大します。 2022.10.13 写真徳川家康神社
写真 写真:松平東照宮は徳川家康の祖、松平太郎左衛門の居館に古くからあった八幡宮の屋敷神でした。1619 年( 元和5 年) 家康を合祀し1965 年( 昭和40 年) 親氏を合祀しました。秋には境内のイチョウが美しく色づきます。@豊田市 1619 年( 元和5 年) 家康を合祀し1965 年( 昭和40 年) 親氏を合祀しました。秋には境内のイチョウが色づきます。居館跡だったので敵襲を防ぐために堀で守られています。石垣は江戸時代に整備されたものだそうですが、山を背にし前面に堀があります。 2022.10.11 写真徳川家康神社
写真 写真:信光明寺は松平3代信光創建の寺です。江戸時代に住職が将軍拝謁の道中に病み平癒を祈った芭蕉天神の加護により役目を果たします。帰国後自ら彫ったご神体を裏山に安置しそれが岩津天神となります。@岡崎市 信光明寺 2022.10.06 写真徳川家康神社
写真 写真:徳川四天王筆頭の酒井忠次は家康と先祖が同じ松平太郎左衛門親氏です。親氏は松平家に婿として入るよりも先に酒井家の婿に迎えられていてその時に酒井家の祖 酒井広親は生まれています。 徳川四天王のひとり酒井忠次は家康と同じ先祖だそうです。それは、豊田市の松平郷を支配していた松平太郎左衛門家の入婿になる前の遊行僧(だった時代の徳阿弥であり、後の松平親氏だったのです。 2022.10.05 写真徳川家康
写真 写真:鳳来寺は1300年の山奥の古刹です。聖武天皇妃光明皇后、源頼朝、武田信玄、松平広忠、於大の方、徳川家康、井伊直政、奥平氏、菅沼氏、徳川家光などが関係した歴史ある寺です。@新城市 鳳来寺は1300年の古刹です。奥三河の山中の険しくそそり立つ溶岩の岩山にあって聖武天皇妃光明皇后、源頼朝、武田信玄、松平広忠、於大の方、徳川家康、井伊直政、奥平氏、菅沼氏などが関係したといわれる寺です。 2022.10.02 写真徳川家康神社
寺 法性寺の山門をくぐったら信玄が討たれたと伝わる場所があります。@新城市 カメラを手に持って法性寺(ほっしょうじ)の山門をくぐって先に進んだときに声が聞こえました。振り向くと観音様と目が合いました。 2022.09.23 寺徳川家康歴史
写真 写真:伊賀八幡宮の蓮の花が咲き始めました。というタイトルの記事をアップした一週間後に来てみた。期待は裏切られまだつぼみばかりです。 伊賀八幡宮の蓮の花が咲き始めました。というタイトルの記事をアップした一週間後にまた来てみました。期待は裏切られまだつぼみばかりでした。とは言っても、つぼみの数が明らかに増えています。一気に花が開きそうな気配を感じます。ただ、一週間待って花が開いている景色をイメージして撮りに来たので本音は残念な気持ちです。 2022.07.06 写真徳川家康神社
写真 写真:徳川家先祖代々の守護神、伊賀八幡宮の蓮の花が咲き始めました。@岡崎市 徳川家康先祖代々の戦の神様、伊賀八幡宮の蓮の花が咲き始めました。先週と比べるとつぼみの高さが一段と高くなっているように見えます。あと三日もすると開花するつぼみも多くあるでしょう。 2022.06.27 写真徳川家康神社
写真 写真:髙月院の紫陽花が見頃を迎えています。華やかさと素朴さのバランスがとれています!。@豊田市 髙月院の紫陽花が見頃を迎えています。華やかさと素朴さのバランスがとれています。見ていてそう感じます。アジサイが咲く季節に髙月院を訪れようと決めたのは、昨年の9月でした。そう思ったのは、松平東照宮横の駐車場から髙月院まで続く黄色い塗壁の上に見... 2022.06.22 写真徳川家康神社風景
写真 写真:大樹寺の桜が咲きました。まだ寒くて花曇りの日が多いのです。@岡崎市 主君の今川義元が名古屋市緑区の桶狭間で織田信長に討たれた時、松平元康(後の家康)は、同じ緑区にある大高城を守っていた。今川義元が討たれたとの情報を得た元康は情報の真偽を確かめた上で大高城を捨て、わずかな手勢とともに追手から逃れて松平家の菩提寺、岡崎市の大樹寺に入った。 2022.04.02 写真徳川家康神社
写真 写真:ディープな名古屋といえば大須観音と大須通商店街。何か楽しいことが起こりそうな予感がするお正月の様子を撮ってきました。 ディープな名古屋といえば大須観音と大須通商店街。何か楽しいことが起こりそうな予感がするお正月の様子を撮ってきました。名古屋に大須観音というとても有名なお寺があります。本当のお寺の名前は真福寺というのですが、寺の由緒によると、ご本尊は、時の天... 2022.01.09 写真神社
徳川家康 写真:高月院までの道の紅葉と秋を歩く楽しみ。 高月院の紅葉を楽しむ。高月院の紅葉を楽しむことができるのは塀沿いの道を上って山門前までの間です。境内には紅葉する木が見当たりません。そして、お寺として華やぐことを敢て抑えているのではないだろうかと思えます。そんな雰囲気が寺にはあります。高月... 2021.11.12 徳川家康歴史神社
写真 写真:瀧山東照宮、瀧山寺の中に東照宮がある 瀧山寺の中に瀧山東照宮があります。岡崎市教育委員会による立て札にはこのように書かれています。滝山寺に伝える由緒書によると、徳川家光が酒井讃岐守、松平右衛門太夫、青竜院亮盛の三人に命じて造営したもので、正保二年(1645年)五月起工し同三年八... 2021.10.31 写真徳川家康神社
写真 写真:見忘れてはいけない伊賀八幡宮随身門の随身と力神 @岡崎市 伊賀八幡宮の随神門を撮影するときに忘れてはいけないのが、門をくぐるときに両脇で来る者をチェックしている衛士の姿をした随神と、その随神門の屋根の四隅を支えている力神(りきしん)です。美しい衣装とリアルな顔立ちの随神と、デフォルメの効いたダイナミックな力神がこの門にいるので、この随神門の価値を一層高めています。 2021.10.29 写真徳川家康神社風景