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写真 寺社仏閣 徳川家康

写真:大樹寺の桜が咲きました。まだ寒くて花曇りの日が多いのです。@岡崎市

松平八代当主の墓
松平八代当主の墓 手前は初代松平太郎左衛門親氏墓

大樹寺の桜が咲きました。まだ寒くて花曇りの日が多いのです。

主君の今川義元が名古屋市緑区の桶狭間で織田信長に討たれた時、松平元康(後の家康)は、同じ緑区にある大高城を守っていた。

今川義元が討たれたとの情報を得た元康は情報の真偽を確かめた上で大高城を捨て、わずかな手勢とともに追手から逃れて松平家の菩提寺、岡崎市の大樹寺に入った。

主君を失い、追手に寺を囲まれた元康(家康)は大樹寺の松平八代の墓前で切腹を決意したが、時の住職登誉上人に「厭離穢土、欣求浄土」と諭されて思いとどまり、大樹寺の数百人の寺僧とともに寺を打って出て奮戦し追手を退散させた。

このとき家康は19歳でした。

この話は有名な話ですが、この写真の場所で元康(家康)は切腹するつもりだったのです。近年家康の墓も設置されていますが、元康が先祖の当主八代の前で切腹することを考えた時には当然ですがありませんでした。

春になり、この場所にも満開の桜の花が咲いています。

月岡芳年 作「三河後風土記之内 大樹寺御難戦之図」

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