松平東照宮は徳川家康の祖、松平太郎左衛門の居館に古くからあった八幡宮の屋敷神でした。
1619 年( 元和5 年) 家康を合祀し1965 年( 昭和40 年) 親氏を合祀しました。
秋には境内のイチョウが美しく色づきます。
元は居館跡だったので敵襲を防ぐために堀で守られています。
石垣は江戸時代に整備されたものだそうですが、山を背にして前面に堀があります。
堀には水が張られています、
色鮮やかな鯉が人が居るところに集まってきます。
秋になると境内のイチョウの大木が黄色に色付きます。
イチョウの葉に西日が透過して透明感が増しているように見えるのは、山の澄んだ空がもひと役買ってくれています。
松平氏発祥地の碑が立っています。
石柱の字に読めない漢字がありますが意味はわかります。
(-_-)
国指定史跡
松平氏遺跡(松平氏館跡・松平城跡・大給城跡・高月院)
松平氏は江戸幕府の創始者である徳川家康の祖で、ここ松平町が発祥の地です。
伝承によれば時宗の遊行僧・徳阿弥が諸国を流浪中、東国から三河の大浜、そして松平郷に入り、土豪在原信重の婿となり松平親氏を名乗り松平城を本拠としたのが始まりと言われています。
三代信光のとき、後の徳川将軍家となる松平宗家と幕末まで松平郷に住した旗本・交代寄合い松平太郎左衛門家に分かれました。
信光は松平郷から岩津・大給・安城・岡崎城へ侵攻し西三河一帯に進出・一族発展の基礎を築き、松平氏九代目家康が徳川に改姓して天下統一を果たしました。
家康の死後、太郎左衛門家九代尚栄のときに東照宮が駿河から当地に勧請され、「ご称号の地」として松平郷は幕府から敬われてきました。
平成六年、松平氏の居館(東照宮境内)を「松平氏館跡」とし、「松平城跡」、「大給城跡」、「高月院」の4ヶ所が初期松平氏の状況をよく伝えていることから、一括して松平氏遺跡として国の指定史跡になりました。
「松平氏館跡」(現松平東照宮)は、三時期の歴史的な段階がありました。
初めは、親氏の居館としての松平氏館、つぎに松平信光以降、宗家と分かれた旗本松平太郎左衛門の居館、そして、居館廃絶後、今日みるような元和年間に勧請されていた東照宮を前面に祭祀した松平東照宮の段階です。
境内には「産湯の井戸」と呼ばれる井戸があります。
松平家では三代松平信光が当館で出生した際、この清水を用いたことから松平家代々の「産湯の祝泉」となったといわれています。
天文十一年(1542)に家康が岡崎城で誕生した際には竹筒につめて早馬で届けたといわれています。
また、館跡正面から西側に巡る水堀の石垣は江戸時代初期に整備されたといわれています。
平成八年三月 豊田市教育委員会
必要なことが無駄なく説明されていて良くわかります。
大給城(おぎゅうじょう)は豊田市内から松平郷に車で来る途中にあります。
いつか写真を撮ってきてアップします。
松平東照宮の拝殿には美しい天井画があります。拝殿で手を合わせた後には忘れずに天井を見て下さい。
松平東照宮の拝殿には美しい天井画があります。
拝殿で手を合わせた後には忘れずに天井を見て下さい。
松平東照宮の拝殿格天井画は、豊田市小原町出身の漆芸家、安藤則義さんが2015年に制作した作品です。
天井には108枚の絵がはめ込まれています。
四隅には双葉葵の絵を配しているので、草花の絵の種類は全部で105種類ということになります。
そのほとんどが松平郷で目にする草花ばかりなのだそうです。
参詣者が手を合わせる対象だからこそ、ひとりでも多くの人が幸福な気持ちになるような天井画を目指したそうです。
*掲載写真は季節が混在しています。ご了承下さい。