カメラを手に持って法性寺(ほっしょうじ)の山門をくぐって先に進んだときに声が聞こえました。
振り向くと観音様と目が合いました。
きっと私に手を合わせてから行けと仰ったのだろうと思ったので合掌しました。
この観音像がやけに懐かしい感じがするのでよく見ると自分と同じ顔をしています。
思わず笑ってしまいました。
観音様も笑っています。
観音様が小声で仰いました。
自分にはこの仕事はあまり向いてないと思うんだ。
かれこれ290年以上迷っているんだ。
いきなり何をおっしゃるんですか!
たぶん空耳だと思いますがこのことは秘密です。
この観音様は1731年の法華萬部供養の折りに設けられた仏様のようです。
野田城の戦いは1573年なので158年後のことになります。
その手前には少し小さな石像と供養塔が立っています。
この石像は野田城戦死病歿者慰霊供養塔の傍の観音様です。
この観音様は煩悩を消し去っていて何の迷いも感じさせません。
このお寺のある場所は野田城合戦があった時にはまだ開山されておらず池でした。
武田信玄が野田城を包囲したときに、野田城内から毎夜聞こえる美しい笛の音を聴くためにこの池のほとりの決まった場所を夜ごと訪れていました。
ある日いつものように笛の音を聴いているときに野田城内から放たれた鉄砲に撃たれてしまいます。
この場所はそのような伝説が残る場所です。
自分に似ている仏様のおかげで話がすっかい横道に逸れましたが、写真ギャラリーを見て昔を偲んでください。
武田信玄は野田城から甲府まで引き上げてしまうのですが、その帰途に亡くなってしまいます。
鉄砲で撃たれたのは事実ではないとか、病気で亡くなったのだとかの説があります。
私は鉄砲で撃たれ、その傷が原因亡くなったように思っています。
野田城内の狙撃場所から法性寺の境内にある信玄公が笛の音を聞くために夜ごと訪れていたとされる着弾地点までは100mほどです。
野田城攻めで信玄公が狙撃されたとする故事を描いたもの。
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/778332(国立国会図書館)
法性寺写真ギャラリー
記事の内容は筆者の主観で書いているので誤解なきようお願いします。