2021

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写真:「飛燕」という戦闘機のエンジンはダイムラーベンツ製だと知って驚きました。当時の川崎航空機(川崎重工)がライセンス生産していましたが製造は難しかったようです。

「飛燕」という川崎航空機(川崎重工)が戦時中に作っていた戦闘機のエンジンはダイムラーベンツ製だったことを知って驚きました。ライセンス生産とはいっても外国のエンジンを使っていることなど想像もしていなかったし、その当時ダイムラーベンツとどのよう...
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写真:タイのラーマ5世チュラロンコン大王の銅像がある覚王山日泰寺はお釈迦様の御真骨が眠るお寺です。梅雨の薄暗い光りは被写体に強い影を作らないので建物の軒裏まで満遍なく写せます。

タイのラーマ5世チュラロンコン大王の銅像がある覚王山日泰寺はお釈迦様の御真骨が眠るお寺です。名古屋地下鉄東山線に覚王山という駅名があります。言葉で言ってみると固い響きがする駅名だとは思っていたのですが、その意味を知ってからまだ10年ほどしか...
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写真:超一流の剣術によって将軍家や尾張藩の兵法指南役を目指した宮本武蔵。名古屋にその足跡があり笠寺観音には曽孫弟子による顕彰碑が立てられています。

超一流の剣術によって将軍家や尾張藩の兵法指南役を目指した宮本武蔵。名古屋にその足跡があり笠寺観音には曽孫弟子による顕彰碑が立てられています。将軍家の兵法指南役として江戸での就職(仕官)に失敗した宮本武蔵は、こんどは尾張徳川家の兵法指南役を目...
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写真:甚目寺の境内は広いく伸びやかな気分で写真を写せます。被写体も多くカメラの設定や構図を考えるのに焦ってしまうようなことはありませんでした。

甚目寺の境内は広いく伸びやかな気分で写真を写せます。被写体も多くカメラの設定や構図を考えるのに焦ってしまうようなことはありませんでした。気を付けなければいけないのはお寺の東と南の門がある道路の交通量が多いので、お寺を外から撮影するときには十...
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写真:名古屋城の二の丸広場での展示に引き続き栄のミツコシマエヒロバスで行われていた名古屋城金シャチ特別展覧も2021年7月11日で終了しました。

名古屋城の二の丸広場での展示に引き続き栄のミツコシマエヒロバスで行われていた名古屋城金シャチ特別展覧も2021年7月11日で終了しました。金鯱の展示の目的は、名古屋を救ってきた歴史を持つ名古屋城の金鯱を地上に降ろして、みんなに近くで見て貰う...
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写真:龍泉寺の円空仏は迫力ある馬頭観音と千体仏です。顔を近づけると小さな円空仏でも会話できそうな気持ちになります。自分と仏様の心を合わせて反射させる力を持っています。

龍泉寺の円空仏は迫力ある馬頭観音と千体仏です。顔を近づけると小さな円空仏でも会話できそうな気持ちになります。自分と仏様の心を合わせて反射させる力を持っています。小さな円空仏は、悩んでいる人や病んでいる人に出会えば、その場で彫って授けることに...
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写真:本堂の焼け跡から見つかった慶長小判、大判が入っていた陶器の入れ物に見入ってしまった。円空仏がすぐ隣にあるのですが、どうしても目がハート型に!。名古屋市にある龍泉寺の宝物として展示されています。

本堂の焼け跡から見つかった慶長小判、大判が入っていた陶器の入れ物に見入ってしまった。円空仏がすぐ隣にあるのですが、どうしても目がハート型に!。名古屋市にある龍泉寺の宝物として展示されています。緑の釉薬が垂れて織部焼きみたいな雰囲気のある陶器...
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写真:円空仏の寺、荒子観音寺のフェンスに飾られている現代の円空仏も円空の心を伝えています。

円空仏の寺、荒子観音寺のフェンスに飾られている現代の円空仏も円空の心を伝えています。お寺で頂いた資料を読むと、荒子観音寺は天平元年、729年の開基で由緒あるお寺です。名古屋市にあります。お寺から徒歩5分ほどしかない近所で生まれた前田利家の菩...
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写真:仕事やビジネスに迷ったときに歩く散歩道。淀屋橋、北浜から堺筋本町にある大阪産業創造館までを歩けば仕事の迷いが確信に変わるはず。距離にして2㎞。

仕事やビジネスに迷ったときに歩く散歩道。淀屋橋、北浜から堺筋本町にある大阪産業創造館までを歩けば仕事の迷いも確信に変わるはず。距離にして2㎞。先人の方々に喝を入れてもらえます。淀屋橋から土佐堀通りを東に向かいます。そして200m歩いてひとつ...
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旧帝国ホテルは細かな意匠が施され美しい外観です。全体的に凹凸のあるダイナミックな設計です。@犬山市

旧帝国ホテルは細かな意匠が施され美しい外観です。建物には細かな意匠が施されていて、全体的に凹凸のある設計です。徹底的に手の込んだ造りとその上等さに妥協がありません。ひと目見ただけでもそれが伝わってきます。仕立ての良い背広とシャツにネクタイ。...
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写真:戦艦三笠を横須賀で見ました。艦橋上のデッキに立っての指揮には尋常ではない気力と心頭滅却できるスイッチを持たないと不可能。心細く恐ろしすぎる。

戦艦三笠を横須賀で見ました。艦橋上のデッキに立っての指揮には尋常ではない気力と心頭滅却できるスイッチを持たないと不可能。心細く恐ろしすぎる。あまりにも無防備な場所です。司馬遼太郎さんの坂の上の雲はテレビでも放映される前に読んでいて三笠のこと...
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二重橋は明治の時代が示す日本の進む道を洋風な橋と伏見櫓の和の風景に表現し象徴した。

二重橋は明治の日本の今後を示唆している。西洋文化を取り込み役立てることで生まれるであろう新しい日本の方向性を示している。二重橋は明治の時代が示す日本の進む道を洋風な橋と伏見櫓の和の風景に表現し象徴したのではないか。振り向いた日比谷の風景がそ...
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写真:龍泉寺はお参りに行くと山の中のお寺のように感じますが、実は名古屋市内です。守山区を流れる庄内川の崖の上にあります。

龍泉寺は戦国の戦の陣によく使われました。断崖の上にあり名古屋、岐阜までを見渡すことが出来るからです。龍泉寺はお参りに行くと田舎のお寺のように感じますが、実は名古屋市内です。守山区を流れる庄内川の崖の上にあります。開基は800年頃で最澄となっ...
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写真:竹千代(家康)と織田信広の人質交換が行われた笠寺観音は美しい山門のある天平時代から続く由緒あるお寺です。

竹千代(家康)と織田信広(信長の異母兄)の人質交換が行われた笠寺観音は美しい山門のある天平時代(733年)から続く由緒あるお寺です。建立されてから800年ほど後に、織田氏と対立する三河の松平氏は駿河の今川氏に援護を頼むための人質として竹千代...
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写真:薬師寺の大きな石に彫られた世界遺産薬師寺の文字は、金堂の薬師三尊像の柔らかなラインとつながっているように感じる。

薬師寺の大きな石に彫られた世界遺産薬師寺の文字は、金堂の薬師三尊像の柔らかなラインとつながっているように感じます。世界遺産の石碑の文字は美しく趣があって好ましく思っているのですが、世界遺産それぞれに味わい深い字体で名前が記されているので見て...
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大久保彦左衛門はここに住んでいたのか。神田駿河台の杏雲堂病院の敷地にある彦左衛門屋敷跡の碑。@東京都

大久保彦左衛門屋敷跡の碑を見つけました。神田駿河台の杏雲堂病院(きょううんどうびょういん)の敷地に見つけました。歴史に名を残している三河武士なので想像力をかき立てられます。それは誰のこと?、彦左衛門を知らない方もいらっしゃるのではないでしょ...
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初詣を思い立ちJR飯田橋を降りると、寒風の中、東京大神宮に500mの列が出来ていたので諦めのたのを思い出した。

寒風の中を東京大神宮へ初詣を思い立ちました。しかし橋を降りると、東京大神宮まで500mもの行列が出来ていたので諦めました。(この記事の写真は夏の写真なので悪しからず!)駅向こうの神楽坂は低層の民家やショップのあるお洒落な街です。入りくんだ路...
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写真:2020年のシーズンにはこのRose Gardenは閉園していました。緊急事態宣言が解除されて入園可能になったときにはシーズンが過ぎていてわずかなバラが咲いているだけでした。

コロナで閉園だったバラ園。2020年のシーズンには閉園していました。緊急事態宣言が解除されて入園可能になったときにはシーズンが過ぎていてわずかなバラが咲いているだけです。撮影に耐えられそうなバラはほとんどありませんでしたが、普段は感じられな...
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写真:徳川四天王のひとり本多平八郎忠勝の父忠高と祖父の忠豊は約10年にわたり繰り返された織田と松平の安城城争奪戦をめぐりここで討ち死にしています。

徳川四天王のひとり本多平八郎忠勝の父忠高と祖父の忠豊は約10年にわたり繰り返された安城城の争奪戦でそれぞれ討ち死にしています。その場所には立派な墓碑が建てられています。その墓碑の写真を語る前に簡単に安城城を巡る戦いに触れておきたいと思います...
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写真:パワーポイント資料の表紙のようなBARの看板を見つけたのは、名古屋広小路通りが伏見通りと交わる交差点の少し手前です。

パワーポイント資料の表紙のようなBARの看板を見つけた場所は、名古屋広小路通りが伏見通りと交わる交差点の少し手前です。みずほ証券のあるビルの入居テナント用の看板の中にみつけました。残念なことにこのBARは2020年6月に閉店してしまいました...
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写真:京都国立博物館と京都府立図書館、そして京都国立近代美術館の美しい字体で書かれたそれぞれの名称を写真に撮って集めただけなのに、日本文化の威厳さえ感じます。

京都国立博物館と京都府立図書館、そして京都国立近代美術館の美しい字体で書かれたそれぞれの名称を写真に撮って集めただけなのに、日本文化の威厳さえ感じます。どうしてそう感じるのかを考えていたのですが、それは、建物の名前のここ以外には考えれないと...
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