写真 寺社仏閣

写真:薬師寺の大きな石に彫られた世界遺産薬師寺の文字は、金堂の薬師三尊像の柔らかなラインとつながっているように感じる。

世界遺産薬師寺石碑

薬師寺の大きな石に彫られた世界遺産薬師寺の文字は、金堂の薬師三尊像の柔らかなラインとつながっているように感じます。世界遺産の石碑の文字は美しく趣があって好ましく思っているのですが、世界遺産それぞれに味わい深い字体で名前が記されているので見ていて飽きることがありません。
この文字をどなたが書かれたのかがわかるともっとよいのですが、石のどこかに彫ってあるのかもしれません。

金堂と東塔

薬師寺の東塔が2009年から2021年までの間、解体修理されていたのでこのサイトにある写真はそれ以前のものを探してアップしました。

解体修理が終わったので、薬師寺にまた行きたいと思っています。他県への移動が解禁となったら計画するつもりです。

金堂の国宝薬師三尊像は697年の完成とありますが、その時代の人たちはまだ竪穴式住居に住んでいたようです。

金堂にある国宝薬師三尊像は697年の完成とありますが、その時代の一般の人たちはまだ竪穴式住居に住んでいた時代なので、薬師三尊像を見て文化的芸術的レベルがすでに現代と変わらないことに驚いてしまいます。

また東京の深大寺(733年開基)にも同時代の釈迦如来像(国宝)があり、その大きさは小さくても、薬師寺の薬師三尊像とよく似た雰囲気と美しさを持っています。現在は天台宗ですが、それまでは薬師寺と同じ法相宗(ほうそうしゅう)だったので、この仏様も薬師寺と何らかのつながりがあってそこにあるのかも知れません。

薬師寺が高田好胤管主による100万巻の写経勧進により再興を成し遂げられたことはとても有名な出来ごとです。

薬師寺が高田好胤管主による100万巻の写経勧進により再興を成し遂げられたことはとても有名な出来ごとです。当時は、戦乱で消失した金堂の仮の金堂と国宝の3重の塔しかありませんでしたが、それを高田管主はこのように修学旅行生に説明します。「この塔は3階やねんで、6階に見えるけどな、誤解のないように・・・(^^;)」。そして修学旅行生の心をつんでいきます。そしておよそ20年間修学旅行生のガイドを続けるのですが、このことが100万巻の写経の勧進で全国を回ったときに生きてくるのです。

大講堂の弥勒三尊像の後ろにある釈迦10大弟子像に驚き感銘を受けました。

大講堂の弥勒三尊像の裏側にある釈迦10大弟子像に驚き感銘を受けました。それは彫りが深く鼻梁の高いエキゾチックな顔立ちをしていたからです。お釈迦様は青い目をしていたのだということと合わせて十大弟子の姿を見てストンと腑に落ちたからです。お釈迦様は東洋人と西洋人の血が混じったエキゾチックな容姿だったのだというイメージが自分の中に出来たからです。

薬師寺に写真を撮りにいって、次の写真をアップするつもりです。そして、写真のことを書いている?はずなのに、写真家の井上博道さんのことに触れていないのは失礼すぎますから次の奈良の記事には必ず書きます。この記事の写真は少し古いので入れ替えなければなりません。悪しからず!。

使ったカメラ ソニー:DSC-V1

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