写真 徳川家康 神社

写真:竹千代(家康)と織田信広の人質交換が行われた笠寺観音は美しい山門のある天平時代から続く由緒あるお寺です。

笠寺山門

竹千代(家康)と織田信広(信長の異母兄)の人質交換が行われた笠寺観音は美しい山門のある天平時代(733年)から続く由緒あるお寺です。

建立されてから800年ほど後に、織田氏と対立する三河の松平氏は駿河の今川氏に援護を頼むための人質として竹千代(後の家康)当時6歳を、今川方に送る途中で織田方の手に落ちてしまいます。

一方織田信長の異母兄の織田信広は、織田氏と松平氏との間で約10年にわたり繰り返された安城合戦(安城城の奪い合い)で1549年、松平(今川)方に捉えられてしまいます。

笠寺山門内側から

今川方は織田方に対して信広と竹千代の人質交換を持ちかけて、この笠寺で人質交換が成立したことは歴史上有名な話です。

人質交換は、丑の刻に行われたと何かで読んだことがあるので、双方夜中の1時くらいに笠寺に到着すれば良いことになりますが、まだ6歳児の竹千代はさぞかし眠かったことでしょう。

笠寺は熱田神宮から4㎞ほど南の東海道沿いの高台にあり、松平氏の本拠地岡崎城からは約25㎞あります。

笠寺は熱田神宮から4㎞ほど南の東海道沿いの高台にあり、松平氏の本拠地岡崎城からは約25㎞あります。人質交換時刻に合わせて岡崎を昼に発てば笠寺までは6時間ですから日没過ぎのまだ少し明るさが残っている頃に到着できます。待ち時間が長くなりますが。
帰りはあと少しで日が昇る東に向かってそのまま一気に岡崎まで帰って行くことになるでしょう。全員が睡眠不足です。

見ていないのでわかりませんが、松平今川の兵は1500人は連れて来ないと心細いですから、笠寺の下にある森に隠しておきます。
一方織田方は熱田神宮で体制を整えて笠寺までの4㎞の道を来るはずですから、ことらも同じように笠寺の手前に同じく1500人ほどの兵を隠しておきます。これで兵力がバランスします。このことに関する駆け引きは当然あるでしょうから相当神経戦になったでしょう。

笠寺東門

笠寺には織田方は東門から、松平今川方は南門から入ってくるのが自然です。多分そのときに寺に入る人数は事前に交渉して双方それぞれ100人程度くらいに抑えていたかも知れません。

この2つの門を見ながらあれこれと勝手な想像を巡らせて撮影を楽しんでいました。

この人質交換が上手く行ったことで織田も松平も後々力を合わせて時代を作って行くきっかけになったのは、きっと笠寺の観音様のお導きのような気がします。

芭蕉の句碑があります。 星崎の闇を見よとや啼く千鳥  星崎はこの辺りの地名です。昔はお寺の近くまでが海で干潟でした。自分が星崎に立って真っ暗な海と満天の星を見ていると、遠い波の音に混ざってどこかで千鳥の啼く声がしばらく耳に届いていた・・・ そのようなバーチャル感いっぱいのイメージが湧き上がる句です。メチャクチャ格好いい句だと思いませんか。シビれます。

境内に自転車を乗り入れて走っている人を見ました。由緒あるお寺なのに、自転車を乗り入れる人たちによって笠寺の品格を下げられているようで残念に思いました。 

天林山 笠覆寺(てんりんざんりゅうふくじ) http://kasadera.jp/index.html 笠寺観音と呼ばれている。

使ったカメラ Nikon:D300S レンズ:Nikkor 28mm  F1.8 35mm換算 42mm

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