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写真:上野の森美術館「モネ連作の情景」のパネルと、撮られてしまった木に棲む神様?。

上野の森美術館のモネ連作の情景パネルと、撮られてしまった木に棲む神様?。神様が写真に写ってしまいました。大きくて美しいのでモネ連作の情景の巨大なパネルを撮影しました。いい感じに写っていたのでその写真を眺めていると、何か表情のある顔が写り込ん...
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写真:東京上野公園の西郷隆盛像と皇居の楠木正成の騎馬像、そして靖国神社の大村益次郎の銅像を東京の三大銅像と呼びます。

上野公園には西郷隆盛像があります。皇居には楠木正成(くすのきまさしげ)の騎馬像。そして靖国神社には大村益次郎の銅像があります。これら3体の銅像を、東京の三大銅像と呼びます。西郷像は本人に似ていないなどの話題を聞くことがあります。楠木正成も美...
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国家鎮護、厄除開運、必勝・弓矢の神、石清水八幡宮とそのエピソード@八幡市

石清水八幡宮は国家鎮護、厄除開運、必勝・弓矢の神様です。大分県の宇佐神宮から京都の男山に移座し御神霊を奉安したのが起源です。
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飛行神社創建の秘話。古代の飛行神 饒速日命と航空殉難者を祀る神社です。@八幡市

飛行神社創建の秘話。飛行神社は航空安全を祈願するために建立されました。そして古代の飛行神饒速日命(にぎはやひのみこと)と航空殉難者を祀る神社です。この神社は日本初の動力飛行機を発明した二宮忠八(1866-1936)が創建しました。飛ぶことへ...
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清水寺を寛永寺に再現。広重も描いた印象的な月の松がある清水観音堂と広重も描いた月の松@東京都台東区

清水寺を寛永寺に再現。広重も描いた印象的な月の松がある上野の寛永寺。清水観音堂と広重も描いた月の松.清水寺を寛永寺に再現した清水観音堂は国指定需要文化財です。広重も描いた印象的な月の松でしたが、一度は失われてしまいましたが現代の庭師の力で甦...
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静けさを取り戻したお正月明けの猿投神社@豊田市

正月明けの猿投神社は静けさを取り戻しています。この前まで初詣客でごった返していたのにそれが嘘のようです。西三河を見晴らす猿投神社(さなげじんじゃ)の御祭神は大碓命(おおうすのみこと)です。それから彼のお父さんの景行天皇、そしてお祖父さんの垂...
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浜名湖の北にある龍潭寺は井伊家の菩提寺です。浜松城と並んで浜松屈指の観光スポットです。@浜松市

井伊家の菩提寺龍潭寺は浜名湖の北にあります。小堀遠州の美しい庭が特に有名です。ドラマにもなった女城主直虎が井伊谷城を出て母の元に移り住んだと伝わる松岳院跡もあります。今では浜松城と並んで浜松屈指の観光スポットです。井伊家・宗良親王 菩提寺萬...
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写真:御器所にある尾陽神社は尾張藩祖初代徳川義直と14代慶勝を祀る神社。@名古屋市

御器所(ごきそ)にある尾陽神社は尾張藩祖初代徳川義直と14代慶勝を祀る神社です。ききなれない尾陽という名は、初代尾張藩主徳川義直公を尾陽公と呼ぶからです。名古屋市昭和区の閑静な住宅街にあり住宅の区画が大きくゆったりとしているので落着いた雰囲...
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写真:高座結御子神社の高座稲荷神社に伝わる豊臣秀吉のエピソード。

高座稲荷神社に参っていた秀吉。熱田神宮の北にある高座結御子神社にある高座稲荷神社には現代に伝わる豊臣秀吉のエピソードがあります。なんと高座稲荷神社に豊臣秀吉が子供のころにお参りに来ていたのです。母さん(大政所)に連れられてお参りしたとことが...
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写真:熱田神宮では車を東西の駐車場に停めてしまうと、上知我麻神社と南新宮社のお参りを忘れやすい。

今日車を停めた熱田神宮の駐車場は東門です。熱田神宮東門鳥居熱田神宮南門鳥居2023年熱田神宮に年の瀬のご挨拶にやってまいりました。お詣りのときのクルマを停める駐車場は東西南とあるのに、ほとんど東門に停めます。熱田神宮まで来る方角によって入り...
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父織田信秀が築城した末森城をもらわなかった信長@名古屋市

末森城が要らなかった信長。父織田信秀が築城した末森城を信長はもらいませんでした。末森城は織田信秀(1510頃-1552)が天文17年(1548)に築いた城です。信秀は織田信長(1534-1582)の父でこの末森城で亡くなっています。物語や映...
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写真:浜松城は戦いに明け暮れた時期の家康の拠点。@浜松市

徳川家康が三河から東に勢力を伸ばすために築いた出世城「浜松城」。家康がそれまでの居城岡崎城から浜松城に移ってきたのは元亀元年(1570年)でした。そして駿府城に移るまでの14年間ここ浜松に在城しています。家康はその間家臣たちと共に成長し実力を積上げ蓄えていきます。
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写真:徳川幕府初期の政(まつりごと)に大きな影響力を持った春日局。彼女の念持仏が大樹寺に安置されています。@岡崎市

春日局の念持仏が徳川家の菩提寺の大樹寺にあります。徳川幕府初期の政(まつりごと)に大きな影響力のあった春日局(かすがのつぼね)。その彼女が毎日手を合わせて拝んでいた念持仏(ねんじぶつ)があります。それが愛知県岡崎市の大樹寺に客仏として安置さ...
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写真:大阪城の風景が美しい。そしてやがて悲しい。

大阪城は美しくてやがて悲しい。大阪城の天守閣と堀の石垣の風景がとても美しい。北側の大阪城ホールから大阪ビジネスパークにかけての風景は大阪の歴史そのままです。高層ビルは近代的な大阪を表し、一方の大阪城は悲しい歴史を秘めています。新しい街と大阪...
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写真:徳川四天王のひとり井伊直政は浜松の井伊谷生まれです。@浜松市

井伊直政赤備@どうする家康浜松大河ドラマ館徳川四天王のひとり井伊直政(1561-1602)は浜松の井伊谷生まれです。彼の生まれ故郷井伊谷(いいのや)は浜名湖の北、浜松市引佐町井伊谷にあります。井伊家は南北朝の時代に後醍醐天皇の皇子である宗良...
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写真:大坂夏の陣に散った豊臣方の重臣、木村長門守重成を包んだ血染めのすすき@彦根市

木村重成を包んだススキです。大坂夏の陣に散った豊臣秀頼の重臣木村長門守重成(きむらながとのかみしげなり)ゆかりの血染めのすすきが、彦根市の井伊神社本殿脇に植えられています。討ちとった木村重成を包んだススキです。説明板にはこう書いてあります。...
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写真:小説家の今東光(こんとうこう)さんは大阪城の石垣を見て男の城といった。

井上博道さんの写真をまねて撮った写真大阪城を男の城といった作家の今東光さん。産経新聞社時代の司馬遼太郎さんが企画出版した「美の脇役」の中での言葉です。今東光さん(1898-1977)は大阪城の石垣を見て男の城だと感じたようです。それは、ご自...
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外堀を埋めるとはどんな意味ですか?。難攻不落の大坂城外堀の美しい石垣の眺めと紅葉。@大阪市

城内から見た大阪城南外堀外堀を埋めるとは。大坂の陣で徳川方が使った戦略を伝える言葉です。400年以上前の大坂の陣での出来事、「外堀を埋める!」。難攻不落の名城「大阪城」現在の外堀ではなく、もっと広いエリアを囲っていました。外堀を埋める日常よ...
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苗木城(苗木藩遠山氏居城)には織田、豊臣、徳川のそれぞれの時代に翻弄されてきた歴史がある。@中津川市

苗木藩は幕末まで続いた藩です。その苗木城は苗木藩遠山氏の居城です。遠山氏は鎌倉時代に木曽川の南北エリアに勢力を持ち、遠山氏の本拠地だった岩村城がある恵那市岩村町からここ中津川市の苗木城、そしてここから車で岩村町を通り越して南西に1時間ほどの...
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写真:動物たちの表情シリーズ@東山動物園

東山動物園のタイル壁画伊藤若冲の鳥獣花木図屛風を思い出します動物たちの表情を見ているとパワーが湧いてきます。名古屋市の東山動物園は大人気(昔からですが)、入園者でいっぱいです。動物園は子供たちだけの場所ではありません。心が疲れてしまったとき...
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写真:神戸の王子動物園から黒いジャガーのマヤ(メス2才)がやってきました。@東山動物園

黒いジャガーがやってきた。神戸の王子動物園からきた黒いジャガーのマヤはメスの2才です。10月にやってきたのですが、できて間もない新築のジャガー舎にいます。まだ慣れないせいか奥の暗い部屋の中を行ったり来たりしています。近くにいたカメラを持って...
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