清水寺を寛永寺に再現。
広重も描いた印象的な月の松がある上野の寛永寺。
清水観音堂と広重も描いた月の松.
清水寺を寛永寺に再現した清水観音堂は国指定需要文化財です。
広重も描いた印象的な月の松でしたが、一度は失われてしまいましたが現代の庭師の力で甦っています。
月の松は清水堂の見所のひとつです。
その名前が示す通り、お堂には京都の清水寺に似た風情があります。
それはもっともなことで、徳川家康の側近であった南光坊天海が京都の清水寺を江戸の寛永寺境内に再現したからです。
清水観音堂のHPには次のような説明があります。
清水観音堂は、京都東山の清水寺を模した舞台造りのお堂で、寛永八年(1631)天海大僧正により建立されました。
また、御本尊も清水寺より恵心僧都(えしんそうず)作の千手観音(せんじゅかんのん)像を迎え秘仏としてお祀りしております。
舞台の上からの眺めは、どうしても、浮世絵師広重も描いた月の松に目が行ってその輪から覗き見る景色が気になりますが。
脇の清水坂の階段を下って、清水堂を見上げると、なるほど清水寺の舞台造りのイメージが伝わるのでよく分かります。
清水寺を寛永寺に再現した月の松は明治時代までは不忍池から寛永寺の清水観音堂に向かう坂を登る途中にありましたが、明治初期に台風の被害で失われていました。
月の松は名所江戸百景・上野清水堂不忍ノ池(安政3年(1856年)4月)に描かれているように、不忍池(しのばずのいけ)から寛永寺の清水堂に向かう清水坂の途中にありました。
その月の松は、明治初期の台風により被害を受けて永らく失われていましたが、浮世絵にも描かれていた江戸の風景を復活させるため、平成24年(2012)12月に復元されました。
現在は寛永寺の敷地内に再現されています。
この石段坂を「清水坂」という。
坂の上には、東叡山寛永寺清水観音堂があり、坂の名はその堂の名称にちなむ。
清水観音堂は寛永8年(1631)に京都の清水寺を模し擂鉢山の上に創建され、元禄7年(1694)に現在地へ移転した。
国の重要文化財に指定されている。
松の枝が円を描く月の松は江戸時代の植木職人の技から生まれた人の手による造形美です。
月の松は、明治初期の台風により被害を受けて永らく失われていましたが、浮世絵にも描かれていた江戸の風景を復活させるため、平成24年(2012)12月に復元されました。
清水堂の舞台から見下ろした月の松には近江の竹生島の宝厳寺に見立てて建立された不忍池辯天堂と参拝の賑わいを望む事ができます。月の松は、江戸時代の植木職人の技の粋を凝らして作り上げた造形と見られていますが、新たに復元された月の松も、現代の造園技術を駆使して造形されました。
訪れた人々は気付かずに通り過ぎていますが、境内の端には控えのための小振りの月の松も植えられています。