歴史

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写真:明治・大正時代の数学者、数藤斧三郎(すどうおのさぶろう)教授の上宮寺滞在とその時の様子を伝える立て札が境内の百日紅のそばにあります。この寺とつながりのあった人の心を伝えていて、寺の歴史と文化を感じさせてくれます。

明治から大正時代にかけての数学者、数藤斧三郎(すどうおのさぶろう)教授の上宮寺滞在とその時の様子を伝える立て札が境内の百日紅(さるすべり)のそばにあります(俳号は五城)。上宮寺には、その昔、三河一向一揆を主導した無骨な寺のイメージがあるので...
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写真:考える人(ロダン)には美しいS字ラインが隠されています。このラインは像を彫刻するときの黄金律です。しかし、このS字ラインを必ずしも彫刻作品に取り入れなければならないという訳ではありません。

京都国立博物館考える人(ロダン)には美しいS字ラインが隠されています。このラインは像を彫刻するときの黄金律です。しかし、このS字ラインを必ずしも彫刻作品に取り入れなければならないという訳ではありませんが、この美しい揺らぎは、見る人に微妙な美...
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写真:大樹寺は、松平、徳川家の歴代にわたる菩提寺です。桶狭間の戦いの後、松平元康(家康)は大高城から先ずこの大樹寺に入り領主としてのスタートを切りました。

大樹寺は、松平、徳川家の歴代にわたる菩提寺です。松平氏四代・親忠が建立しました。織田信長と今川義元が戦った桶狭間の戦いの後、松平氏九代元康(家康)は大高城から先ず岡崎のこの大樹寺に入り3日間滞在の後岡崎城に入り三河岡崎の領主としてのスタート...
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写真:大樹寺の宝塔入り口の馬頭観音像の向こうの羅漢たちは、気まま間放題。ひと目なんか気にしていません。

大樹寺の羅漢は気まま放題。自由気ままな人の姿の見本市です。うつ伏せたまま、それも両足を揃えて足の裏を見せながらこっちを見ている羅漢像。面倒がらずに体を起こしなさい!。大樹寺の宝塔入り口の馬頭観音が教えてくれた、あっちこっちにいる羅漢像はあま...
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写真:家康がひとり立ちする最初のピンチを救った大樹寺の羅漢像の中には怪しげなポーズの奴もいる。きっと人に見られたら困るようなことをこっそりとやっているに違いないのだ。

家康がひとり立ちする最初のピンチを救った大樹寺の羅漢像の中には怪しげなポーズをしている奴もいます。きっと人に見られたら困るようなことをこっそりとやっているに違いないのです。何か隠し事のありそうなビクビクした目でこっちを見ています。羅=羅漢さ...
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写真:家康がひとり立ちする最初のピンチを救った大樹寺。山門横の羅漢像は体全体で喜怒哀楽を表現しています。

家康がひとり立ちする最初のピンチを救った大樹寺にある羅漢像は山門の近くの目立たぬ場所にあって喜怒哀楽を奔放に体全体で表現しています。羅漢像と対話しながらひとつひとつ見て回ると、こんがらがってもつれてしまった心が解(ほど)けます。羅漢像には表...
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写真:勝鬘寺の本堂の右側には立派な石碑が建てられていて、大きく彫ってある寺の名前の左には永禄六年三河一向一揆戦陣跡と刻まれています。開基は1258年。

勝鬘寺(しょうまんじ)の本堂の右側には立派な石碑が建てられていて、大きく彫ってある寺の名前の左には「永禄六年三河一向一揆戦陣跡」と刻まれています。開基は1258年とあります。JR岡崎駅南800mの所にあります。車は境内と外に駐められます。三...
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写真:小豆坂で戦いが多かったのは四方が見渡せる高台なので敵の動きが見える上に戦いに臨んで有利な高い位置から戦えるから。東から松平を救援に来る今川勢が幸田側に現れても美合に現れてもすぐに対応できる位置にあるから。

小豆坂で戦いが多かったのは四方が見渡せる高台だから。そしてここに陣を敷いておくと、敵の動きが見える上に戦いに臨んで有利な高い位置から戦えるから。そして織田方とすれば、東から松平を救援に来る今川勢が幸田側に現れても本宿を通り美合に現れてもすぐ...
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写真:本證寺の蓮の花は目の前の手が届くところに咲いているので大きくパンチのある写真が写せます。山門の左右の掘りに咲く花は色が白で、本堂の南側の掘りに咲く花はピンクです。背景が違うので、雰囲気の違う写真が写せます。

本證寺の蓮の花は目の前の手が届くところに咲いているので大きくパンチのある写真が写せます。山門の左右の掘りに咲く花は色が白で、本堂の南側の掘りに咲く花はピンクです。背景が違うので、雰囲気の違う写真が写せます。真夏の太陽が頭の上から照っているの...
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写真:名古屋市の東北部に猪子石という地名があります。その石を探しに行きました。名古屋東部の方なら、ふんふんと何となくわかる場所なのですが、特にこれというスポットはありません。

猪子石神社名古屋市の東北部に猪子石という地名があります。その石を探しに行きました。名古屋東部の方なら、ふんふんと何となくわかる場所なのですが、特にこれというスポットはありません。住宅街が広がっているエリアなのですが、猪子石の地名は結構広範囲...
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写真:本證寺は鎌倉時代後期の13世紀末ころに開かれたと境内の説明にあります。そのお寺が歴史的に有名になったのは三河の一向一揆の拠点となってからです。

本證寺山門と鼓楼と内堀愛知県安城市野寺町にある本證寺は鎌倉時代後期の13世紀末ころに開かれたと境内の説明にあります。そのお寺が歴史的に有名になったのは三河の一向一揆の拠点となったことによります。だだ、それ以降江戸時代から明治まで将軍拝謁や尾...
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写真:熱田神宮の清雪門はかつては本宮の北門だったものをここ南門を少し進んだ東側に移設したそうです。また門の脇にある立て札には1300年以上門を閉ざしたままである訳が書かれています。

熱田神宮の清雪門はかつては本宮の北門だったものをここ南門を少し進んだ東側に移設したそうです。また、門の脇にある立て札には1300年以上門を閉ざしたままである訳が書かれています。本宮の北門と伝えられ俗に不開門(あかずのもん)といって堅く閉ざさ...
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写真:熱田神宮に行ったら鶏と目が合いました。結構人間を睨み付けて威嚇するようなポーズをとります。相手によって態度を変えていることが観察しているとわかります。

熱田神宮に行ったら鶏と目が合いました。結構人間を睨み付けて威嚇するようなポーズをとります。この鶏は、相手によって態度を変えていることが観察しているとわかります。人を見ているのだと思いますが、熱田神宮には昔から鶏がいるのだそうです。いわゆる名...

写真:名古屋城本丸御殿上洛殿は尾張徳川家が三代将軍徳川家光に礼を尽くした造りです。美ヘのこだわりを持つ家光公に喜んで貰えることの意味は、とても大きい。

名古屋城本丸御殿上洛殿は絢爛豪華さのなかに無駄のない武家文化があります。上洛殿上段之間名古屋城本丸御殿上洛殿は、尾張徳川家が三代将軍徳川家光に対するおもてなしのための造りです。将軍への礼を徳川御三家筆頭である尾張徳川家が示したことの意味は、...
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写真:名古屋城本丸御殿対面所は上段之間と一之間を廊下から見通しで撮れませんでした。格調高く控えめで品のある意匠です。

本丸御殿対面所上段之間名古屋城本丸御殿対面所は上段之間と一之間を廊下から見通しで撮れませんでしたが格調高く控えめで品のある意匠です。御殿それぞれの間は、襖の絵や造りによって部屋の役割にふさわしく仕上げられています。撮影をパターン化することで...
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写真:名古屋城本丸御殿の表書院は最も格式の高い間として正式に藩主に謁見するときに用いられていました。表書院は建物の角にあり南と西からの採光で明るく晴れやかな間です。

名古屋城本丸御殿の表書院は最も格式の高い間として正式に藩主に謁見するときに用いられていました。表書院は建物の角にあり南と西からの採光で明るく晴れやかな間です。日が照ったり曇ったりするとずいぶんと部屋の印象が違って見えます。本丸御殿の表書院の...
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写真:尾張藩主来客用の、玄関二の間、一の間には狩野派による「竹林豹虎図」と呼ばれる襖絵があります。金箔を貼った上から描かれた竹林豹虎図は神々しく柔らかで愛嬌があります。

本丸御殿玄関一之間竹林豹虎図部分尾張藩主来客用の、玄関二の間、一の間には狩野派による「竹林豹虎図」と呼ばれる襖絵があります。金箔を貼った上から描かれた竹林豹虎図は神々しく柔らかで愛嬌があります。。今の言葉で表現すると静かでゴージャスです。藩...
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写真:地上に降りていた名古屋城天守閣の金鯱を元通りに戻す工事が行われています。

金シャチさんありがとうのメッセージが!地上に降りていた名古屋城天守閣の金鯱が地上から元の天守閣の屋根に上げられました。元通りに戻す工事が進められています。どうやって工事を行うのかが気になっていました。名古屋城のwebサイトを見ると、3ヶ月以...
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写真:お百度参りは心から叶えたい願いを成就させるために神様にお願いするための方法です。心願を心に刻みその成就のために一心にお参りします。

お百度参りは神に祈りを届ける参拝方法です。心から叶えたい願いを成就させるために神様にお願いするための方法です。心願の成就を祈りながらお百度石と拝殿を往復し百度お参りし神に祈りを届げます。お百度詣りする姿を人に見られるのが気にしてはいけません...
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写真:東京都港区虎ノ門の金比羅さんはビジネス街にあって働く人達の心のよりどころとなっています。江戸庶民が憧れた讃岐の金刀比羅詣でに行きたくなります。

東京の金比羅さん(こんぴらさん)は港区虎ノ門のビジネス街にあって働く人達の心のよりどころとなっています。ここに何度もお参りしていると、江戸の庶民が憧れた讃岐の金比羅さんに行ってみたくなります。丸亀藩邸内にあった金刀比羅宮を江戸庶民の願いを受...
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写真:円空仏を撮りに梅雨明けの龍泉寺に再びやってきた。カメラにCPLフィルターを装着したのでガラスケースの反射に効果がありました。

龍泉寺の円空仏と景色を撮影に来ました。小さな円空仏を撮るのが目的です。梅雨明けの龍泉寺は眺望がよく今日は遠くまでよく見えます。円空仏を写すためにCPLフィルターをレンズに装着しました。だからといって展示用ガラスケースの反射光が完全に抑えられ...
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