大樹寺は、松平、徳川家の歴代にわたる菩提寺です。松平氏四代・親忠が建立しました。織田信長と今川義元が戦った桶狭間の戦いの後、松平氏九代元康(家康)は大高城から先ず岡崎のこの大樹寺に入り3日間滞在の後岡崎城に入り三河岡崎の領主としてのスタートを切りました。
その間大樹寺は、敗軍でもある元康(のちの家康)を捕らえるために野党に囲まれますが、大樹寺の坊主等も家康とともに戦い追い払います。主君である今川義元が討たれ、自分もこの寺の先祖の前で切腹する覚悟であったのを、厭離穢土欣求浄土(おんりえどごんぐじょうど)と諭され思いとどまったことは有名なお話です。その後、欣求浄土を貫き天下統一を果たします。
このことは大樹寺沿革の立て札に詳しく書かれています。
元康(家康)が岡崎城に入ってからもまだ、これまで通り織田方のいくつかの出城を攻めているにもかかわらず、織田信長はすかさず元康(家康)に同盟を呼びかけます。
信長は、松平元康(信長)の織田方との戦い方を大変評価していたようです。大高城への兵糧の搬入や丸根砦を襲撃したときの戦術などは今川義元も高く評価していたそうですが、信長も痛い目に遭いながらも評価していたのでした。(改正三河後風土記)
歴史のことはわかりにくい部分もあるのでまたの機会にさせて頂きます。
この大樹寺は日本最大の成功者の菩提寺であり、出世にまつわる歴史を持っていることは他のお寺では真似できないものです。
この大樹寺は日本最大の成功者の菩提寺であり、出世にまつわる歴史を持っていることは他のお寺では真似できないものです。またそれとは別の魅力も備えています。
それは、徳川家康の孫に当たる三代将軍徳川家光は、この寺の伽藍の配置を換えて、総門、三門(山門)、本堂から岡崎城が一直線に望める(ビスタライン)ように整えました。
今でもそれは、遮るものがないように守られていて、大樹寺から南に3㎞離れた岡崎城が門の中に門の中に臨むことが出来ます。時代を超えたロマンチックな発想です。
また、三門を入ってすぐ左には自由気ままなポーズの羅漢像が配置されていて見る人を楽しませてくれます。心を楽しませてくれます。
それに加えて墓所や位牌などがありカメラを持たないで訪れてもとても分厚い歴史と徳川将軍家の寺への思いが伝わってきます。