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写真 徳川家康

写真:小豆坂で戦いが多かったのは四方が見渡せる高台なので敵の動きが見える上に戦いに臨んで有利な高い位置から戦えるから。東から松平を救援に来る今川勢が幸田側に現れても美合に現れてもすぐに対応できる位置にあるから。

小豆坂で戦いが多かったのは四方が見渡せる高台だから。そしてここに陣を敷いておくと、敵の動きが見える上に戦いに臨んで有利な高い位置から戦えるから。そして織田方とすれば、東から松平を救援に来る今川勢が幸田側に現れても本宿を通り美合に現れてもすぐに対応できる位置にあるから。これが私が小豆坂古戦場碑を撮影しながら思った答えです。現実には今川義元は近くを通る名鉄の美合駅辺りに軍を駐屯させていたようです。そこは、西側から来る織田軍から自軍を隠せる位置取りになります。時代は下って、三河一向一揆の時には、大久保党は自分の砦がある上和田を離れ、小豆坂に布陣し向かってくる一向一揆軍を破り勝利しています。

小豆坂(あずきざか)は愛知県岡崎市にあります。

今川義元は家康の父である岡崎の松平広忠を助けるために援軍をここに送っているわけで、それは岡崎に攻め寄せる織田信秀が率いる織田軍の撃退が目的です。

戦国時代は敵味方が年代によって異なるので、ここでの説明は信長や家康などの有名な武将の父親の世代のことになります。やがて世代交代して、その子供の時代になると、こんどは信長と家康が助け合ってともに領地を拡大していきます。

小豆坂の戦いは、織田軍と松平・今川連合軍の二度にわたる戦いと、家康が今川から離れて自分の領地の岡崎に戻って間もない20歳の頃に起きた一向一揆でも、敵に回った自分の配下の門徒である武将達との戦場になっています。

現在この辺りは、岡崎市街でも比較的新しく開発された高台にある住宅街です。そして岡崎市街では標高の高い場所になり石碑のある地点の海抜は43mほどあります。

小豆坂の場所は、地図を見ると特定の坂道というよりも坂を構成している低い場所から高いエリアに続く道のあるエリア一帯が小豆坂と呼ばれる地名のようです。例えば、小豆坂で会いましょうか?と言われたら、小豆坂のどの辺りにしますか?と言うような会話の流れになるのではないかと思います。

今川の軍勢が豊橋の吉田城辺りから30㎞離れた岡崎に入るには2つのコースがあります。1つは海岸線を通るコースで、少し遠回りですが蒲郡を通り幸田に抜けて北上する道です。東海道本線が同様のコースを通っています。海沿いに蒲郡から西に進み峠を1つ越えたら幸田と坂崎の平野が目の前に広がります。そこから岡崎城までは北に12㎞ほどです。

三角形の2辺を通るルートになるので行軍する距離がその分4㎞ほど長くなります。

もう一つは、豊橋から山間を抜け岡崎城まで真っ直ぐ進むコースです。今は国道1号線と名鉄電車が通っています。本宿を通り竜泉寺川、乙川を超えて岡崎城下に直接入ります。平野が開ける美合(みあい)辺りから岡崎城までは5㎞の場所になります。

その街道筋の高低差をみると、吉田城があった豊橋公園で海抜10m、標高が一番高い本宿で海抜90m、そこから下って平野が開ける美合で海抜30mです。

これは思いつきですが、美合を竜泉寺川が軍勢の進軍を食い止めるように流れています。小豆坂からから今川軍と織田軍が竜泉寺川を挟んで対峙瀬していたので「見合」という地名になり、やがてそれが美合と言う字に変化したものではないかと想像しながら歩いていました。

説明板を読むと、今川軍は美合辺りに4万の兵力を駐屯させていたようで、西から小豆坂に上がってくる織田軍と断続的な小競りは避けられなかったはずです。実際に両軍が見合っていたことはありそうに思いました。

岡崎の小豆坂は織田の勢力と今川の勢力がぶつかり合っていた最前線の紛争地帯だったようです。

写真を撮るよりも、いろいろ考えながら歴史の泥沼に入るのを楽しく感じた日でした。石碑と説明板の写真だけではイメージが広がりにくくたくさんの説明が必要ですしそのためには知識が必要です。

それは全体の風景を撮影できると少しはホットひと息つけるのですが、それが出来ないのでストレスが溜まる撮影でした。

織田と松平今川連合軍がにらみ合ったと思われる竜泉寺川あたりの写真を撮りたかったです。

東名高速道路の美合PAはこの近くになります。

実際にここに来て全部の説明板を読んで見ると、松平広忠が今川義元に支援を求めたことは国を守る上で適切な判断だったと思うことと、今川義元の松平支援のための手厚い派兵も信頼に足るもののように感じます。そして今川義元の元で教育されて育った家康はその思想文化の影響を受けているはずで、それが天下人に必要な素養となっているようにも思えたのです。

小豆坂の地図


小豆坂辺りのことが紹介されている小豆坂小学校の児童が作った資料も参考にさせて貰いました。

https://cms.oklab.ed.jp/el/azuki/index.cfm/19,502,html

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