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写真 寺社仏閣

写真:熱田神宮の清雪門はかつては本宮の北門だったものをここ南門を少し進んだ東側に移設したそうです。また門の脇にある立て札には1300年以上門を閉ざしたままである訳が書かれています。

熱田神宮清雪門

熱田神宮の清雪門はかつては本宮の北門だったものをここ南門を少し進んだ東側に移設したそうです。また、門の脇にある立て札には1300年以上門を閉ざしたままである訳が書かれています。

本宮の北門と伝えられ俗に不開門(あかずのもん)といって堅く閉ざされている  天智天皇七年(668)故あって皇居に留まられた神剣が朱鳥元年(686)再び当神宮に納められた折 二度と御動座なきよう門を閉ざしたという故事による

それによると西暦668年から686年までの18年間は草薙剣は熱田になかったのですが、この清雪門を通って草薙剣が持ち出されてしまったからです。そのようのことが二度とないように草薙剣が熱田に戻されて以来閉ざされたままであると説明されています。この門は、信長塀と同じ造りですが、いつの時代にこの場所に門が移されたのかはわかりません。

信長塀は1560年の桶狭間の戦いの戦勝祈願した勝利を収めたそのお礼の寄進によるものですが、この塀もそのときのものだと考えた方が考えやすいです。

すぐ思いついたのは、

①堅く閉ざされている門であれば「不要であろう」と合理的な考えを持つ信長が門を取っ払って全部塀にしてしまった。

②熱田神宮としてはそれはあまりにも何なので門は破却せずに移動させてモニュメント的な扱いとした。

③本来は門として然るべき塀を持つべきだったので移築した門にも左右に信長塀を作ってもらった

この門が移設された経緯はまだ考えられそうですが、神宮の文書や研究論文などには史実が書かれているのだろうと考えています。

本当のところは熱田神宮の関係の方や学者の方にお任せして、私はあれこれと思いを巡らせながら楽しませてもらっています。


どう見てもこの塀は信長塀ですから塀の寄進のときに合わせてこのように作られたことには違いないと思うのですが、本宮前の信長塀よりも若干傷みが少なく新しいような感じも受けます。

清雪門が閉じられたのは、信長塀が寄進される900年も前のことですから、この塀も信長塀だとすると、ついでにこの門の塀も作って寄進したのかも知れません。

熱田神宮ではこの門の前で「オホホ祭り」と呼ばれる酔笑人神事(えしょうどしんじ)が行われます。

熱田神宮ではこの門の前で「オホホ祭り」と呼ばれる酔笑人神事(えしょうどしんじ)が行われます。 御神体の草薙神剣が熱田神宮に還った故事を今に伝える神事です。境内の灯りを消し、影向間社、神楽殿前、別宮前、清雪門前の4カ所で悦びを込めて神官10人(写真で人数を数えてみました)ほどでオホホと高笑いをします。

この神事が夜に灯りを消して行われるのは、草薙剣が宮中から熱田に戻されるとことを宜しく思わなかった人への気遣いによるものなのだろうと私は思っています。

本当のことは全くわかりませんが。

酔笑人神事(オホホ祭り) https://www.atsutajingu.or.jp/jingu/shinto/eyoudoshinji.html

使ったカメラ Nikon:D500 レンズ Nikkor DX16-80 F2.8-4.0

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