写真 安城市歴史博物館はマニアックな展示があるので目が離せません。今日は特別展「徳川の支柱酒井氏 雅楽頭家と左衛門尉家」を見てきた。@安城市 いつものことですが、マニアックな展示がある安城市歴史博物館からは目が離せません。この日は、安城市歴史博物館で開催の特別展、「徳川の支柱酒井氏 雅楽頭家と左衛門尉家」を見に行きました。その歴史博物館は織田と松平の10年にも及ぶ安祥合戦で有名な... 2023.08.26 写真城徳川家康歴史
写真 写真:石川数正の墓所のある本宗寺@岡崎市 石川数正の墓所と本宗寺。石川数正 天文2年(1533年)-文禄2年(1593年)1592?は、当時、家康の片腕として酒井忠次と共に大活躍した武将です。また、主君の家康は1543-1616なので石川数正は家康より10歳年上です。家康の家臣とし... 2023.08.22 写真寺徳川家康歴史
写真 写真:大久保彦左衛門のお墓参りをした。@愛知県岡崎市と東京都港区 大久保彦左衛門の墓大久保一族墓所墓の前の景色大久保彦左衛門のお墓参りをした。大久保彦左衛門忠教(おおくぼひこざえもんただたか)永禄3年-寛永16年(1560-1639)は、江戸時代前期の三河武士です。そんな大久保彦左衛門は、徳川家康、徳川秀... 2023.08.20 写真寺徳川家康歴史風景
写真 徳川四天王、榊原康政の生まれ育った上野城と隣松寺にある父と祖父の墓。@豊田市 徳川四天王、榊原康政の生まれ育った上野城は、豊田市の山々を望む小高い丘にあります。また、父と祖父の墓は、目と鼻の先の隣松寺にあります。見渡す限りの水田と寺に囲まれた上野城で1548年生まれた榊原康政は、徳川家康の家臣の中でも、徳川四天王・徳... 2023.08.18 写真城寺徳川家康歴史
写真 てんのじ村の記念碑をみつけたので、おもわず手を合わせました。@大阪市 てんのじ村の記念碑を見つけて思わず手を合わせた。てんのじ村の記念碑は阪神高速環状線の阿倍野入口のすぐ横にあります。地名の天王寺村があったことは知っていましたが、上方芸人が多く住んでいた街がてんのじ村だったことは知らなかった。てんのじ村の記念... 2023.08.15 写真歴史街風景
写真 写真:小牧長久手の戦いで家康が陣を据えた小牧山と秀吉が着陣した犬山城の距離が10kmほどしかなくて近すぎる。 小牧長久手の戦いで家康が陣を置いた小牧山と秀吉が入城した犬山城の距離感がわかります。空気が澄んでいる冬に撮影した写真です。左側の緑色の山が小牧山です。小牧山の中央右寄り頂上にお城の形をした小牧山歴史館が見えます。一方の犬山城は写真を拡大する... 2023.08.13 写真城徳川家康歴史風景
写真 今川義元の祖先の地、今川氏発祥の地がここです。@西尾市 愛知県西尾市には徳川家康を育てた今川義元(1519-1560)の祖先の地があります。そこには今川氏発祥の地の石碑があります。駿府の今川氏も先祖は三河出身の家柄だったのです。今川という領地の名前を名乗り始めた今川国氏(1243-1282)は、... 2023.08.11 写真歴史風景
写真 写真:浅野内匠頭の墓所、泉岳寺と吉良上野介の墓所、華蔵寺に行ってみたら共通点?が三つあった。 泉岳寺華蔵寺浅野内匠頭長矩公(あさのたくみのかみながのり)の墓所、泉岳寺(東京都港区)と、吉良上野介義央公(きらこうずけのすけよしひさ)の墓所、華蔵寺(けぞうじ)(愛知県西尾市)に行った。少しだけこじ付けっぽいことはわかっているのですが、二... 2023.07.18 写真寺歴史
写真 写真:お金が増えるパワースポットとしては山田天満宮内の金神社(こがねじんじゃ)は最強かもしれない@名古屋市 お金が増えるパワースポットとしては山田天満宮内の金神社(こがねじんじゃ)は最強かもしれないと思います。金神社(こがね)と言えば岐阜の柳ケ瀬にある金色の鳥居で有名です。名古屋の金神社(こがねじんじゃ)は、名古屋市の山田天満宮の中にある小さな神... 2023.07.17 写真徳川家康神社風景
写真 写真:伊賀八幡宮にある教国稲荷社にかわいい狐さんが登場。 伊賀八幡宮にある教国稲荷社にかわいい狐さんが登場しました。稲荷社の鳥居の奥にある社殿の両脇には、前から巻物を口にくわえた怖そうな先輩の狐さんがいますがこんど新しく、鳥居の正面に登場した新しい狐さんは、伊賀八幡宮の駐車場の整備に併せて社殿や鳥... 2023.07.12 写真徳川家康神社
写真 伊賀八幡宮の蓮の花が咲き始めました。2023.7.02@岡崎市 伊賀八幡宮の蓮が咲き始めました。6月初旬に様子を見に行ったときには、まだ葉が少なくて背丈も低かったので蓮池の水面がところどころ空を映していました。ひと月後におとずれると、蓮の葉が大きく密集して人の背の高さまほどになっていました。今では、蓮のつぼみや花があちらこちらで大きな葉の間から顔を出しています。 2023.07.03 写真徳川家康神社風景
写真 伊賀八幡宮に蓮の様子を確かめに行ったのは6月初旬です。蓮のつぼみも見られず花はまだでした。@岡崎市 伊賀八幡宮の蓮の花の様子を確かめに行ったのは6月初旬です。とても残念ですが蓮のつぼみも見られず花はまだでした。とはいうものの、日に照らされた蓮の葉に強い勢いを感じます。蓮が成長しているので、辺り一面にパワーを放っている感じがします。この不思... 2023.06.29 写真徳川家康歴史神社
写真 伊賀八幡宮の駐車場に鎮座してお詣りに来たときにはいつも出迎えてくれます。来るたびに気になるお稲荷様は教国稲荷社です。@岡崎市伊賀八幡宮境内 鳥居や社の朱が美しく塗り替えられた教国稲荷社伊賀八幡宮の駐車場に鎮座していつも出迎えてくれます。来るたびに気になるお稲荷様は教国稲荷社です。御祭神は倉稲魂神(うかのみたまのかみ)で伏見稲荷大社の御祭神と同じです。倉稲魂神(うかのみたまのかみ... 2023.06.29 写真徳川家康神社
写真 写真:明治時代が始まってすぐ、大阪の文明開化は川口にあった外国人居留地から始まります。西洋の文化と近代教育が大阪にもたらされたのです。川口の新大橋(木津川橋)は大阪の文明開化の架け橋になりました。@大阪市西区 明治時代が始まってすぐ、大阪の文明開化は川口にあった外国人居留地から始まります。西洋の文化と近代教育が大阪にもたらされたのです。川口の新大橋(木津川橋)は大阪の文明開化の架け橋になりました。その橋のたもとの記念碑には当時の様子を描いた陶板の... 2023.05.31 写真歴史街風景
写真 長篠・設楽原の戦いはいつだったのか、そもそもどんな戦いだったのかを確かめてみた。 設楽原合戦図 新城市立東郷東小学校卒業生制作 設楽原歴史資料館1.長篠・設楽原(ながしの・したらがはら)の戦いはいつのことだったのか?確かめてみた。テレビや本などのメディアやインターネットの情報で見たり読んだりしたことがあるので知っています... 2023.05.25 写真城徳川家康歴史風景
写真 1575年の長篠・設楽原の合戦で戦った武田軍と徳川・織田連合軍の将士の平均年齢は34.8歳という若さです。 1575年の長篠・設楽原の合戦で戦った武田軍と徳川・織田連合軍の将士の平均年齢は34.8歳という若さです。長篠城址史跡保存館に長篠・設楽原で戦った将士の年齢一覧があったので興味深く見てきました。下の表は、将士の年齢をエクセルにまとめたもので... 2023.05.20 写真城徳川家康歴史
写真 写真:武田軍の三河侵入を防ぐための徳川方の拠点、長篠城の籠城戦では救援を家康に伝えるために命がけで城を脱出した鳥居強右衛門が主命を果たし城に戻る途中に武田方に捕えられて磔にされてしまいます。 武田軍を防ぐための徳川方の拠点、長篠城の籠城戦では救援を岡崎にいる家康に求めるために命がけで城を脱出した鳥居強右衛門が援軍の来ることを見届けて戻ってきたところを武田方に捕えられて磔にされてしまいます 2023.05.19 写真城徳川家康歴史風景
写真 写真:信玄包囲も定盈は籠城奮戦。2万7千の兵に包囲されながらも籠城。400の兵でひと月を持ちこたえた。信玄はここで鉄砲に撃たれ、しばらくして亡くなったと伝えられている。@新城市 信玄包囲も定盈籠城奮戦 2023.05.11 写真城徳川家康歴史
写真 写真:伊賀八幡宮は1470年に松平四代の松平親忠公が社(やしろ)を伊賀の国より三州額田郡井田村に移したことにはじまります。ピンチを乗り越えて勝利に導くパワースポットです。@岡崎市 伊賀八幡宮は、1470年に松平4代の松平親忠(ちかただ)公が松平家の氏神として、武運長久、子孫繁栄を祈願するため、三重県の伊賀より三州額田郡井田村に移したのにはじまる。伊賀にちなんで伊賀八幡宮とよび、地名も伊賀と改めた。 2023.05.07 写真徳川家康神社風景
写真 写真:徳川家康も織田信長も豊臣秀吉も浅井長政もお市さまも茶々さま(淀殿)も見た伊吹山。 徳川家康も織田信長も豊臣秀吉も浅井長政もお市さまも、どのような思いをいだきながらこの伊吹山を見ていたのでしょうか。 2023.04.19 写真徳川家康風景
写真 桶狭間の戦いの前日に今川義元は沓掛城に入るのですが、沓掛城に入る前に祐福寺に立ち寄っているようです。 桶狭間の戦いの前日に今川義元は沓掛城に入るのですが、沓掛城に入る前に祐福寺に立ち寄っているようです。 2023.03.31 写真神社