PR ◆ 【Wealthroom】厳選された投資用不動産に出会える

写真 徳川家康 歴史 風景

写真:徳川四天王、榊原康政の生まれ育った上野城と隣松寺にある父と祖父の墓。@豊田市

徳川四天王、榊原康政の生まれ育った上野城と隣松寺にある父と祖父の墓。

榊原康政は、徳川家康の家臣で、徳川四天王・徳川十六神将・徳川三傑の一人とされる武将です。

1548年にここ三河の国、上野城(豊田市)で生まれ、織田信長や豊臣秀吉との戦いで活躍しました。

主君の徳川家康の関東移封に伴い館林藩(群馬県館林市)の初代藩主となり、慶長19年(1614年)になくなっています。

大阪や、三重、愛知の人は榊原と聞くと、榊原温泉を思い浮かべる人が多いと思います。

まさにその通りで、榊原氏は三重県津市榊原町の出身です。

上野城址(上野上村城址)

応仁の頃(1467)伊勢貞親の被官であった戸田弾正左衛門宗光による築城と伝えられている。城の周囲には、自然地形を利用した堀が巡り、南西に本丸、北東に二之丸が配されている。

宗光は文明7年(1475)に二男の家光を残して渥美郡大津に移り、田原城を築いて田原城主となった。その後家光も程なくして田原に移っている。

明応2年(1493)上野城に在った阿部孫次郎は寺部の鈴木氏、挙母(ころも)の中條氏、八草の那須氏、伊保の三宅氏等と連合して松平親忠と井田野(岡崎市)に戦い、破れて、松平氏に服属した。その後この城には松平内膳正信定と、その子清定が在城した。

清定は天文14年(1545)松平広忠と戦い、同15年に降伏して桜井(安城市)に蟄居の身となり、代わって、酒井将監忠尚が入城する。

しかし、永禄6年(1563)三河一向一揆が起こると忠尚は一揆方に味方したため、隣松寺に本陣を敷いた徳川家康によって攻められることになる。

永禄8年、一揆が鎮まって忠尚は駿河に逃れ、上野城は落城した。

落城後は家康により、上野七人衆と呼ばれる在番衆が置かれた。

豊田市教育委員会

説明板にもありように榊原康政が生まれた上野城は、当時、三河一向一揆の時に家康に敵対した酒井将監忠尚の城でした。

榊原康政はどういった経緯で家康の家臣になったのかと考えてしまうのですが詳細はよくわかりません。

ただ、その頃家康は、自分の家臣団を作るために有能な若い者を推挙してもらいたいと、地元三河の有力者に声を掛けていたようです。

それに応じた酒井将監忠尚が榊原康政を推薦したと考えられます。

史実がどうなのかはわかりませんが、酒井忠尚と家康はもともと交流があったわけですから、きっとそのようなことがあったのでしょう。

これは小説ですが、「徳川四天王 川村真一著」の中に酒井将監忠尚が榊原康政を家康に推挙するシーンがあります。

酒井忠次の叔父、酒井将監忠尚が榊原康政を家康に引き合わせる場面です。

「徳川四天王」の56ページあるのですが映画を見ているような感じに表現されています。

家康が桶狭間の合戦に向かう途中の岡崎でのことですが、小説とはいえ当たらずとも遠からずなのだろうと思っています。

それが違うという確証がないのでとりあえずそう思っています。

しかし、その酒井将監忠尚が家康が岡崎に戻ってから起こった三河一向一揆で家康を裏切りました。

そのときに家康は酒井将監忠尚のいる上野城を攻めます。

榊原康政は家康の上野城攻めに加わっているので、自分が生まれ育った城と前の主君を攻めることになりました。

東から見た上野城
上野城本丸

そのとき家康は上野城から北東に800メートル離れた隣松寺に本陣を構えています。

鴛鴨松平氏墓所

隣松寺の鴛鴨松平家(おしかもまつだいらけ)の墓所に、榊原康政の祖父清長と父長政の墓所もあります。

榊原清長・長政の墓所

お墓に添えられた卒塔婆には榊原家17代当主の榊原政信氏の名前が見えます。

現在は隣松寺の外になっていますが、当時は広大な境内の中にあったのだろうと思います。

榊原清長・長政の墓所

榊原清長、長政は、幼少より徳川家康に仕え、四天王の名を欲しいままにした館林城主榊原康政の祖父と父にあたる。

榊原氏は、もともと仁木氏の流れであったが、伊勢の国一志郡榊原村に住し、榊原姓を称した。清長の代に三河に移り、上野(上郷町)下村に城を築き、松平親忠の臣となり、仕えた。

明応2年(1493)井田野(岡崎市)の戦いでは、12歳の長政が父と共に活躍したことが記録に残っている。

また長政の妻は、鴛鴨城主松平親康の娘であるが、清長、長政共に生年は不詳。

清長は天文14年(1545)10月8日死去、(一説に天文元年9月10日ともいう。)法名は一公羽金忠大居士。長政は永禄5年(1562)10月19日死去、(一説に9月8日ともいう。)法名は賢孝道誓大居士。その妻共々隣松寺を菩提所とした。

豊田市教育委員会

上野城からの北東の眺め、榊原康正はこの景色を見て育った。
中央が家康が陣を敷いた隣松寺

ツーリズムとよた https://www.tourismtoyota.jp/spots/detail/2175/

PR

-写真, 徳川家康, 歴史, 風景
-, , , , , ,

テキストのコピーはできません。