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写真:ディープな名古屋といえば大須観音と大須通商店街。何か楽しいことが起こりそうな予感がするお正月の様子を撮ってきました。

ディープな名古屋といえば大須観音と大須通商店街。何か楽しいことが起こりそうな予感がするお正月の様子を撮ってきました。名古屋に大須観音というとても有名なお寺があります。本当のお寺の名前は真福寺というのですが、寺の由緒によると、ご本尊は、時の天...
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熱田神宮初えびすお焚き上は南門の上知我麻神社に祀られるえびす様のお祭りです。

熱田神宮初えびすお焚き上は上知我麻神社(かみちかまじんじゃ)のえびす様の祭りです。そんな熱田神宮初えびすお焚き上の炎に今年はとても勢いがあります。そこで注意が必要なのですが、風に煽られた火の粉が、防寒着のダウンに落ちると、大小の穴が開いてし...
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写真:2022お正月。熱田神宮初詣の様子。

2022年お正月の熱田神宮の初詣の様子です。新聞は例年のように賑わいを伝える写真を掲載するのが習慣ですがそれは2022年カウントダウン後の元旦の様子ですが、2日になると参道を普通に歩けるので、これまでの参道が埋まってしまっている混雑の様子と...
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新年を迎える大晦日の熱田神宮が厳かです。

新年を迎える大晦日の熱田神宮の様子が厳かです。2021.12.31お正月を迎えるという張り詰めた静けさがあります。朝からの雪が雪雲とともに北に移動すると太陽が顔を出してくれました。屋台は本番前の最後の仕込み中です。大晦日の熱田神宮は、普段の...
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写真:「是字寺」(ぜのじでら)「是」の字を左手に握る初夢を見た徳川家康のお祖父さんの松平清康公は、高名な模外惟俊(もがいいしゅん)和尚にその夢の謎を尋ねると、「これは天下人の吉兆」と謎解きをした。

「是」の字を左手に握る初夢を見た徳川家康のお祖父さんの松平清康公は、岡崎の北にある龍渓院の住職、模外惟俊(もがいいしゅん)和尚にその夢の謎を尋ねると、「これは天下人の吉兆。是という字を分解しますと、日の下の人と書くと。つまり日の下の人、天下人を意味する。
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写真:高月院の撮り方。三門に続く塀沿いの道では、大きな白い建物の反射光をうまく利用して撮影します。

高月院の光の状態を見る
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写真:高月院までの道の紅葉と秋を歩く楽しみ。

高月院の紅葉を楽しむ。高月院の紅葉を楽しむことができるのは塀沿いの道を上って山門前までの間です。境内には紅葉する木が見当たりません。そして、お寺として華やぐことを敢て抑えているのではないだろうかと思えます。そんな雰囲気が寺にはあります。高月...
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写真:瀧山東照宮、瀧山寺の中に東照宮がある

瀧山寺の中に瀧山東照宮があります。岡崎市教育委員会による立て札にはこのように書かれています。滝山寺に伝える由緒書によると、徳川家光が酒井讃岐守、松平右衛門太夫、青竜院亮盛の三人に命じて造営したもので、正保二年(1645年)五月起工し同三年八...
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写真:見忘れてはいけない伊賀八幡宮随身門の随身と力神 @岡崎市

伊賀八幡宮の随神門を撮影するときに忘れてはいけないのが、門をくぐるときに両脇で来る者をチェックしている衛士の姿をした随神と、その随神門の屋根の四隅を支えている力神(りきしん)です。美しい衣装とリアルな顔立ちの随神と、デフォルメの効いたダイナミックな力神がこの門にいるので、この随神門の価値を一層高めています。
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写真:伊賀八幡宮随神門の随神と動物のレリーフ

伊賀八幡宮の随神を見落としては損です。三代将軍家光に整備されるまでは、伊賀八幡宮は質素な神社だったのだろうと想像しています。彼は先祖が大切にしていた由緒のある寺社仏閣を徹底的に整備しています。随身門の随神もそのときに置かれたものです。この伊...
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写真:仏像好きは見て驚き、また来てしまう瀧山寺

瀧山寺本堂瀧山寺(たきさんじ)は西暦673から686年頃に開かれた寺で三河でも屈指の古刹であるとその縁起にあります。これまでに寺の盛衰は何度かあるのですが、源頼朝公の従弟の寛伝上人が住職となった時代(1150頃から1200年頃と考えられます...
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写真:隣松寺三河稲荷は1240年に伏見より勧請した由緒正しい稲荷社です。 @豊田市

隣松寺の鐘楼門をくぐる手前右側に西向きに鎮座しているお稲荷さんは隣松寺三河稲荷といい、1240年に京都伏見より勧請した由緒正しい稲荷社です。また、徳川家康と深い関係が関係があります。父の松平広忠公が竹千代(家康)の誕生にあたり成長の無事を祈...
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写真:六所神社の楼門 @岡崎市

六所神社(ろくしょじんじゃ)の楼門が低い秋の夕日に照らされて絶好のライティングをプレゼントしてくれました。きっと、六所大明神が歓迎してくれたのでしょう。大明神と相性がよかったのかもしれません。この日は西日の光の中にアンバーがあまり含まれてな...
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写真:隣松寺(りんしょうじ)の仁王の横顔が美しい。@豊田市

隣松寺の仁王門には阿吽の仁王が左右にあり、門をくぐる者を睨んでいますが、その体の色が金属や屋根瓦と同じ質感なので、鬼瓦のように彫刻された後に窯で焼締められたものではないかと想像しています。もしかしたら、墨を何回にも重ね塗って仕上げているのでしょうか。とても珍しい色です。
徳川家康

写真:高月院が女性的な柔らかさで迎えてくれるのは、将軍門まで緩く続く段々につながる橙色の塀の道から仰ぎ見る寺の姿に秘密がありそうです。

高月院には柔らかさがある。山門に段々と続く橙色の練り塀がよい。土塁と城壁のように見える参道を囲う白い壁に秘密がありそうでだ高月院の女性的な柔らかさはこのことに理由がある。やさしく迎えてくれると感じる。将軍門(最初の門)までを歩く緩く上る道と...
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写真:大樹寺の三面八臂の馬頭観音像は、正面の人にも、右側を通って多宝塔に参る人にも、そして三門の外の歩道を歩きながら石垣の隙間から覗いていく人にも、チャンと目線を合わせてくれます。サービス満点です。

大樹寺の三面八臂の馬頭観音像は、正面の人にも、右側を通って多宝塔に参る人にも、そして三門の外の歩道を歩きながら石垣の隙間から覗いていく人にも、チャンと目線を合わせてくれることです。サービス満点です。ところが、正面から見る限り左右の顔がそんな...
徳川家康

徳川家の菩提寺、愛知県岡崎市の大樹寺には、松平家初代から徳川家康までの松平家九代の墓があります。

徳川家の菩提寺大樹寺。大樹寺鐘楼本堂屋根瓦松平八代墓所大樹寺愛知県岡崎市の大樹寺には、松平家初代から徳川家康までの松平家九代の墓があります。亡くなった年齢を見ると、家康の父広忠と祖父清康は家臣に暗殺されてしまい、24歳と25歳という若さで亡...
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写真:本宗寺の塀は門前を通る道から少し控えて建てられているので寺の前はゆったりとして落ち着いた雰囲気があります。

本宗寺の塀は門前を通る道から2mほど控えて建てられているので、寺の前はゆったりとして落ちついた雰囲気があります。時の権力者が誰かが寄進して建てた大きな山門こそありませんが、美しい筋塀に続く上品な山門が雅な景色を作っています。ただ、門に使われ...
徳川家康

妙源寺は三河一向一揆の時に家康をかくまい助けた寺院です。当時の本尊は増上寺の安国殿に安置されている黒本尊です。@岡崎市 

家康の念持仏黒本尊はもとは妙源寺の本尊でした。柳堂妙源寺は、三河一向一揆の時に家康をかくまい助けた真宗高田派の寺院です。1235年に親鸞が説法を行ったといわれる重要文化財の柳堂があります。JR西岡崎駅を挟んで少し南にある上宮寺の顕彰碑には、...
徳川家康

写真:伊賀八幡宮は松平氏第四代、安祥松平氏初代の松平親忠公が伊賀の国から1470年にこの岡崎に遷し祀ったのが始まりと言われています。

伊賀八幡宮は徳川家の守神です。伊賀八幡宮随神門松平家第四代松平親忠が伊賀の国から移し祀りました。伊賀八幡宮は、松平氏第四代松平親忠(ちかただ)公が伊賀の国から1470年に、岡崎に遷し祀ったのが始まりと言われています。それ以来伊賀八幡宮の地名...
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写真:上宮寺は聖徳太子が全国巡業の折に見つけた霊樹で自らの像を造りそのお堂を作られたことを寺の起源として伝えています。1988年に消失した本堂は1996年にインドオリエンタル風のデザインで再建されており築地本願寺や名古屋西別院に似て洒落ています。

上宮寺は聖徳太子が全国巡業の折に見つけた霊樹で自らの像を造りそのお堂を作られたことを寺の起源として伝えています。1988年、三河一の伽藍を誇った木造の本堂を焼失しましたが、1996年にはこれまでのイメージを一新したデザインで建て替えています...
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