妙源寺は、三河一向一揆の時に家康をかくまい助けた真宗高田派の寺院で、1235年に親鸞が説法を行ったといわれる重要文化財の柳堂があります。JR西岡崎駅を挟んで少し南にある上宮寺の顕彰碑には、当時の住職が妙源寺(明眼寺)の柳堂で行われた親鸞上人の布教を聴きにいったと書いてあったことを思い出しました。







家康は一向一揆の収束を願い妙源寺本尊の阿弥陀如来に夜通し祈ったところ、一揆を収束できたことからこの本尊にひとかたならぬ思いがあったようです。またその由緒も聞かされて知っていたのでしょう。この阿弥陀如来を彫った人物は、平安中期に活躍した恵心僧都源信という方といわれ、かつては清和天皇の流れをくむ「清和源氏」の守り本尊であったと伝えられてます。そのような清和源氏につながる由緒があるからこそ、大切な本尊を懇願して譲ってもらったのだと思います。
寺が本尊を譲って以来、陣中にもこの阿弥陀如来像を安置し戦勝を祈願していたと伝わっています。
江戸に幕府を開いた後も変わりなく阿弥陀如来像を持仏として身近に置いていましたが、家康が亡くなってからこの阿弥陀如来像は増上寺に納められました。現在も芝増上寺に安置されており、本堂の隣の安国殿に「秘仏の黒本尊」として伝えられています。
木製の阿弥陀如来の大きさは、身の丈78㎝と言われています。
そんなエピソードのある妙源寺には有名な武将も眠っています。




安藤直次 紀伊州藩附け家老、紀伊田辺藩主、江戸幕府老中で家康に信頼されていることがわかります。
高木清秀 徳川十六神将のひとり 息子の正次は河内国丹南藩主となる。高木氏は明治まで続いています。
本多助左衛門忠豊、本多平八郎忠高の墓は、有名な徳川四天王のひとり、本多平八郎忠勝の祖父と父の墓です。
安藤直次のお墓の撮影が出来ていませんので、再訪問してアップしておきます。
徳川四天王とは:酒井忠次 本多忠勝 榊原康政 井伊直政 とされています。
妙源寺の紹介番組岡崎市チャンネル岡崎 https://www.city.okazaki.lg.jp/910/1765/p020127.html