本宗寺の塀は門前を通る道から2mほど控えて建てられているので、寺の前はゆったりとして落ちついた雰囲気があります。時の権力者が誰かが寄進して建てた大きな山門こそありませんが、美しい筋塀に続く上品な山門が雅な景色を作っています。ただ、門に使われている瓦には力があり、力強いタッチの丸に本の字があり、三河一向一揆の本證寺に似て上品さの中にも力強さを感じさせます。
本堂は再建された鉄筋コンクリート造りですが、火災に強いので個人的には賛成です。どの寺も伽藍を火災で焼失しています。木造の伽藍は古くて寺の歴史を示しているようには感じられますが、維持が大変なのと火災への備えが難しいので後々継続的に必要な費用の面でどうしても寺そのものの存続が困難になってしまうように思います。
本宗寺は元は、岡崎市の土呂(勝鬘寺の近く)にあったのですが、三河一向一揆後に、ここ東海道に近い美合(みあい)の地に移転しています。小豆坂にほど近い場所にあります。
岡崎市の浄土真宗の寺は歴史的に質実剛健さを感じさせるのですが、本宗寺には少し雅さもあります。門を入るとある、盆栽のような姿をした松の大木のせいかもしれません。
特にその松は印象的で、一度見たら忘れならない松です。幹や枝をうねらせているので、自立させるために何本もの支えがしてあります。まるで、重たい神輿を何人もの担ぎ手が両手で差し上げているようにも見えるダイナミックな力強さがあります。
もう一つ重要で歴史的な武士が眠っています。主君である徳川家康の元を去り豊臣秀康の家臣となった石川数正の墓がああります。
また数正の墓の向こうには叔母の妙西尼(妙春尼)の墓があります。(境内の岡崎観光きらり百選の説明板では数正の母となっていますが・・)
一向一揆で家康に破れ破却追放されていた一向宗の寺の再興を家康に願い出て実現させた女性でもあります。
彼女は、この本宗寺の草案で亡くなる84歳まで暮らしていたそうです。
歴史を秘めた静謐さを破るように、うしろの竹林で竹がパンパンと大きな音を立てはじめました。
今までは静かだったのに。
本宗寺HP http://www5d.biglobe.ne.jp/~honsyuji/
使ったカメラ Nikon:D500 レンズ Nikkor DX17-55mm F2.8