高月院が女性的な柔らかさで迎えてくれるのは、将軍門(最初の門)までを歩く緩く上る道と、その脇に続く低く段々につながる橙色の練り塀、そして土塁と城壁のように見える総軍門を入った参道を囲う寺の白い壁に秘密がありそうです。
この道は車も通ることができます。将軍門の下に数台の車が駐められるスペースを設けてありますが、ほとんどの人は、松平郷の第一駐車場に駐めてから寺までの300mの距離をその景色にもてなしてもらいながら歩いているようです。この道を歩かないと、めったに出会えない贅沢な気分を楽しめません。
ただ、将軍門下の駐車スペースを見て思うのは高月院が周辺を整備する場合にも寺としてのバランス感覚が発揮されていて優しさと厳しさを教えています。広くなくて狭くもなくてちょうど良い。感じ取ってもらえなくても、それでも「もてなす」ということがこの寺の伝統的な感覚なのでしょう。
司馬遼太郎さんは30年ぶりに高月院を訪れたのは1995年だと思うのですが、寺に向かう道に続いている練塀がまだ新しかったこともあり、昔の風情が損なわれたと感じて、その心象を「街道を行く43」濃尾参州記に書いていらっしゃいます。
ただ、この塀のすぐ向こう側は山の麓で、そこには塀と麓に茂っている草木の間を縫って小川が流れているという情感たっぷりな景色があります。塀には、人が通れるほどの隙間が各所に設けられているので、小川に出て景色を楽しむことも出来ます。
しかし、司馬遼太郎さんの美観を損ねたこの練塀も時を経て、今ではまるで開山当時からあったような落ち着いた風格がでています。少しくすんだ山吹色と瓦の苔が都会の人が好みそうな雰囲気を醸し出しています。
通りかかった女性3人のグループは「京都のお寺みたいな雰囲気があるネ!」と歩きながら語り合っていました。
高月院を取り囲む景色が単なる田舎ではなく、きっとかすかに都(みやこ)風な印象を受けたのでしょう。私も何やらかすかに雅さを感じていました。










城壁のように見える寺の白い塀は、そこまでたどりついてみると山吹色の練塀と同じようなつつましい高さの塀なのがわかります。寺からみえる山や田畑の景色を拒まず受け入れています。借景と呼ぶには失礼に感じるのでやめますが、小賢しさを感じさせないのです。
初秋のコントラストの強い日差しに翻弄されて押し出しの強い写真になってしまいましたが、このスタイルの写真は飽きやすいしあまり他に使いようがありません。ただ、もう秋なので青い空も写真の中に写し込みたいので大げさに絞って撮っています。補正をかけていないので明るいはずなのに暗く写ってしまう写り方をしています。濃い味付けです。
使ったカメラ Nikon D5600 レンズ Nikkor DX 18-55mm F3.5-5.6
ここ豊田市の松平郷にある高月院は1367年の創建で徳川家康の始祖である松平家の菩提寺です。在原信重(松平信重)が創建したと伝わっています。また信重の婿養子に入った松平太郎左衛門親氏に松平を継がせ、親氏が高月院の伽藍などを整備しました。その後も家康や徳川将軍家、徳川幕府からの手厚い保護のもと、寺は続いてきました。かすかに香る高月院の品の良さは在原の血筋のためでしょうか。
司馬遼太郎さんが30年ぶりに訪れたときには高月院までの道の両脇に塀が建っていたらしい。それでは品がなくなり息が詰まります。
場所:愛知県豊田市松平郷