写真 写真:伊賀八幡宮随神門の随神と動物のレリーフ 伊賀八幡宮の随神を見落としては損です。三代将軍家光に整備されるまでは、伊賀八幡宮は質素な神社だったのだろうと想像しています。彼は先祖が大切にしていた由緒のある寺社仏閣を徹底的に整備しています。随身門の随神もそのときに置かれたものです。この伊... 2021.10.25 写真徳川家康神社
写真 写真:隣松寺三河稲荷は1240年に伏見より勧請した由緒正しい稲荷社です。 @豊田市 隣松寺の鐘楼門をくぐる手前右側に西向きに鎮座しているお稲荷さんは隣松寺三河稲荷といい、1240年に京都伏見より勧請した由緒正しい稲荷社です。また、徳川家康と深い関係が関係があります。父の松平広忠公が竹千代(家康)の誕生にあたり成長の無事を祈... 2021.10.18 写真徳川家康神社
写真 写真:六所神社の楼門 @岡崎市 六所神社(ろくしょじんじゃ)の楼門が低い秋の夕日に照らされて絶好のライティングをプレゼントしてくれました。きっと、六所大明神が歓迎してくれたのでしょう。大明神と相性がよかったのかもしれません。この日は西日の光の中にアンバーがあまり含まれてな... 2021.10.17 写真徳川家康神社
徳川家康 写真:高月院が女性的な柔らかさで迎えてくれるのは、将軍門まで緩く続く段々につながる橙色の塀の道から仰ぎ見る寺の姿に秘密がありそうです。 高月院には柔らかさがある。山門に段々と続く橙色の練り塀がよい。土塁と城壁のように見える参道を囲う白い壁に秘密がありそうでだ高月院の女性的な柔らかさはこのことに理由がある。やさしく迎えてくれると感じる。将軍門(最初の門)までを歩く緩く上る道と... 2021.10.01 徳川家康歴史神社
写真 写真:大樹寺の三面八臂の馬頭観音像は、正面の人にも、右側を通って多宝塔に参る人にも、そして三門の外の歩道を歩きながら石垣の隙間から覗いていく人にも、チャンと目線を合わせてくれます。サービス満点です。 大樹寺の三面八臂の馬頭観音像は、正面の人にも、右側を通って多宝塔に参る人にも、そして三門の外の歩道を歩きながら石垣の隙間から覗いていく人にも、チャンと目線を合わせてくれることです。サービス満点です。ところが、正面から見る限り左右の顔がそんな... 2021.09.25 写真徳川家康神社
写真 写真:本宗寺の塀は門前を通る道から少し控えて建てられているので寺の前はゆったりとして落ち着いた雰囲気があります。 本宗寺の塀は門前を通る道から2mほど控えて建てられているので、寺の前はゆったりとして落ちついた雰囲気があります。時の権力者が誰かが寄進して建てた大きな山門こそありませんが、美しい筋塀に続く上品な山門が雅な景色を作っています。ただ、門に使われ... 2021.09.22 写真徳川家康神社
城 写真:桶狭間の戦いのあと、徳川家康は19歳(1560年)の時に自分が生まれた岡崎城に戻りました。その後、ここを拠点として対抗勢力を討伐し三河を掌握しました。 家康は19歳で岡崎城主になりました。大樹寺三門(山門)と総門越しに見る岡崎城桶狭間の戦いのあと、自分が生まれた岡崎城に戻ったのです。その後、この城を拠点にして対抗勢力を討伐し三河を掌握しました。そして、1570年(元亀元年)に浜松城を築城し... 2021.09.17 城徳川家康
徳川家康 写真:伊賀八幡宮は松平氏第四代、安祥松平氏初代の松平親忠公が伊賀の国から1470年にこの岡崎に遷し祀ったのが始まりと言われています。 伊賀八幡宮は徳川家の守神です。伊賀八幡宮随神門松平家第四代松平親忠が伊賀の国から移し祀りました。伊賀八幡宮は、松平氏第四代松平親忠(ちかただ)公が伊賀の国から1470年に、岡崎に遷し祀ったのが始まりと言われています。それ以来伊賀八幡宮の地名... 2021.09.15 徳川家康神社
写真 写真:鷲津砦は、大高駅北200mの所にあり1559年(永禄2年)織田信長が今川方に奪われた大高城への物流と情報を遮断・監視する目的で丸根砦とともに築かれました。 鷲津砦前を通過する上り新幹線鷲津砦(わしづとりで)は、大高駅北200mの所にあり1559年(永禄2年)織田信長が今川方に奪われた大高城への物流と情報を遮断、監視する目的で丸根砦とともに築かれました。標高30m、東西25m、南北27mで、実際... 2021.09.10 写真徳川家康
写真 写真:丸根砦は1559年(永禄2年)に今川勢力の城である大高城と鳴海城の分断と監視、そして今川義元の上洛を阻止する目的で織田信長が築きました。 丸根砦内石碑丸根砦は1559年(永禄2年)に今川勢力の城である大高城と鳴海城とを分断するために、また今川義元の上洛を阻止する目的で織田信長が北西600mにある鷲津砦とともに築き、守将に佐久間盛重を入れました。丸根砦と大高城は大高川の流れる谷... 2021.09.09 写真徳川家康
写真 写真:上宮寺は聖徳太子が全国巡業の折に見つけた霊樹で自らの像を造りそのお堂を作られたことを寺の起源として伝えています。1988年に消失した本堂は1996年にインドオリエンタル風のデザインで再建されており築地本願寺や名古屋西別院に似て洒落ています。 上宮寺は聖徳太子が全国巡業の折に見つけた霊樹で自らの像を造りそのお堂を作られたことを寺の起源として伝えています。1988年、三河一の伽藍を誇った木造の本堂を焼失しましたが、1996年にはこれまでのイメージを一新したデザインで建て替えています... 2021.09.04 写真徳川家康神社
写真 写真:大高城に兵糧米を運び込む作戦は、今川義元から松平元康(家康)に任せられた役目でした。誰もやりたがらない困難極まりない仕事を抜群の作戦能力で切り抜け成功させました。 丸根砦から見た大高城跡(濃い緑の丘)大高城は、現在の名古屋市緑区にありJR東海道線の大高駅の南500mほどの距離にあります。また、700m東には織田方の丸根砦が、北東600mには鷲津砦があり、桶狭間の戦いがあった時代の今川方の最前線基地でし... 2021.09.04 写真徳川家康
写真 写真:大樹寺は、松平、徳川家の歴代にわたる菩提寺です。桶狭間の戦いの後、松平元康(家康)は大高城から先ずこの大樹寺に入り領主としてのスタートを切りました。 大樹寺は、松平、徳川家の歴代にわたる菩提寺です。松平氏四代・親忠が建立しました。織田信長と今川義元が戦った桶狭間の戦いの後、松平氏九代元康(家康)は大高城から先ず岡崎のこの大樹寺に入り3日間滞在の後岡崎城に入り三河岡崎の領主としてのスタート... 2021.08.18 写真徳川家康神社
写真 写真:小豆坂で戦いが多かったのは四方が見渡せる高台なので敵の動きが見える上に戦いに臨んで有利な高い位置から戦えるから。東から松平を救援に来る今川勢が幸田側に現れても美合に現れてもすぐに対応できる位置にあるから。 小豆坂で戦いが多かったのは四方が見渡せる高台だから。そしてここに陣を敷いておくと、敵の動きが見える上に戦いに臨んで有利な高い位置から戦えるから。そして織田方とすれば、東から松平を救援に来る今川勢が幸田側に現れても本宿を通り美合に現れてもすぐ... 2021.08.13 写真徳川家康