2024/10/25
尾張名所図会の青木地蔵はおおきな楠が目印です。 尾張名所図会の青木地蔵が安置されていた場所には、 今でも大きなクスノキが田んぼの中に立っています。 そのクスノキはとても目立つので、車でそばを通るとすぐにわかります。 場所は、幹線道路の瀬戸大府東海線(愛知県道57号線)の 十三塚交差点近くに突然現れるスターバックスの北側にあります。 地名となっている十三塚の様子は、尾張名所図会の鎌倉街道沿いに 描かれているので探してみてください。 鎌倉街道ゆかりの楠木と地蔵尊 鎌倉街道ゆかりの楠木と地蔵尊 昔、鎌倉街道が通 ...
2024/10/23
ハロウィンのイラストに秋を感じます。 写真ばかりでは飽きてくるので、 季節感のあるイラストを制作しました。 先日まで暑すぎたのに、もうすぐ年末です。 この夏は暑すぎて撮影した写真の撮影枚数が減りました。 先日来、月ばかり撮っていたのも影響したせいか、 ハロウィンのイラストを制作しました。 ハロウィンとは
2024/10/20
翌朝のスーパーム-ンが撮影できました。 スーパームーン当日は午後からだんだんと空に雲が広がり 夜になると空はすっかり分厚い雲で覆われてしまいました。 月の撮影はあきらめていましたが、夜明け前に空の様子をうかがうと ほんの数分ですが、雲の切れ目から月が顔を出しました。 月と、月の光に照らされた分厚い雲の内側がとれたので、変化のある写真になりまし。 満月だけを撮っても面白くない写真になりますが、雲があって良かったと思います。 スーパ-ムーン当日は撮影ができませんでしたが、 翌朝のスーパーム-ンを撮影できたのは ...
尾張名所図会に載る一之御前社の安産水には後奈良天皇につながる興味深いエピソードがある。@豊明市
2024/10/11
尾張名所図会の二村山、十三塚、鎌倉古道、子安清水のページがあります。 右上に描かれている子安清水が、この写真の一之御前神社の安産水です。 この安産水は後奈良天皇につながる興味深いエピソードを秘めています。 一之御前社(いちのおんまえしゃ)の由緒書に 「1651年に近くの住吉社から神功皇后一座の後分霊をうけ現在地に奉祀す。」 とあります。 1651年は、ちょうど江戸の大事件、由井正雪が、 江戸に火を放って江戸城を乗っ取ることを企てた「慶安の変」が あった年になります。 そのように一之御前社は、比較的新しい神 ...
2024/9/28
尾張名所図会 二村山 十三塚 鎌倉古道 子安清水 愛知県豊明市沓掛町宿にある鹿嶋神社は平安時代からある神社です。 現在も同じ場所(豊明市沓掛町宿(しゅく))にあります。 その鹿嶋神社は、尾張名所図会(1840年頃)の二村山、十三塚、鎌倉古道、子安清水が名所として紹介されていますが 描かれているその風景の中に鹿嶋社が見つけられます。 また、地名の宿村の表記も見られます。 延喜式神名帳に載る神社であるとされているようなので、 そのことを調べてみると神名帳考証によると川嶋神社が山田郡に見られます。 尾張国内神名 ...
壬申の乱の戦いに敗れ三河に逃れた大友皇子は大友天神社のあるこの地で暮らしていた。@岡崎市
2024/9/30
壬申の乱の戦いに敗れ三河に逃れた大友皇子。 父である天智天皇は弟の大海人皇子に皇位を譲るつもりでしたが、 しかし気が変わってしまい、自分の息子の大友皇子に皇位を譲ろうと思いました。 その身の危険を感じた天智天皇の弟の大海人皇子は奈良の𠮷野に身を隠しました。 しかしそれは、クーデターを起こすための準備でした。 やがて蜂起した大海人皇子は672年にクーデター(壬申の乱)を起こし勝利しました。 無念にも壬申の乱に敗北した大友皇子(弘文天皇)は実は三河に落ちのびていたのでした。 そんな伝説がここに伝わっています。 ...
江戸城大奥は東京の名所の中でも見逃せない別格のスポットです。東京在住の人も一度は必ず行ってみて!。
2024/8/19
大奥跡 江戸城大奥は、東京の名所の中でも見逃せない別格のスポットです。 せっかく東京にいるのだったら、超有名な江戸城大奥は絶対に見逃せないスポットです。 もう存在しないので、正確には江戸城大奥跡と呼ばれます。 場所は江戸城本丸があったところです。 そこは現在では皇居東御苑になるので、江戸城の大手門から入ります。 いまでは芝生に覆われていてもう絢爛豪華な御殿はありません。 それでも、少しの想像力と多少のnet検索の知識があるだけで、 CG画像を見るように当時の様子が目の前に広がります。 もし映画やドラマで大 ...
2024/8/17
成海神社(なるみじんじゃ)は延喜式にある格式の高い神社です。 主祭神は日本武尊(やまとたけるのみこと)です。 妃の宮簀姫(みやずひめ)、宮簀姫の兄の建稲種命(たけいなだねのみこと)を配祀しています。 この地に成海神社が鎮座したのは朱雀元年(688年)のことです。 宮簀姫の元にあった草薙剣が熱田神宮に移されたとき、と伝わっています。 成海神社は名古屋市緑区鳴海町乙子山85に鎮座しています。 日本武尊の東征の拠点は宮簀姫と建稲種命の居館でした。 父の景行天皇に命じられ東国平定のために征伐し、天皇に恭順させまし ...
通天閣に登りたかったけど入口に長い行列が出来ていたのであきらめた。@大阪市
2024/9/30
通天閣に登りたかったけど入口に長い行列が出来ていたのであきらめました。 時間はと言うと、まだ午前中なのに入口に行列が出来ていたので せっかくのチャンスだったけれど、用がありあまり時間がとれないのであきらめました。 通天閣の入場料は1,200円です。 さらに入場料1,200円にプラス300円で地上94.5mの 特別野外展望台「展望パラダイス」と跳ね出し展望台に行くことが出来ます。 通天閣に登りたかったのはそこから写真を撮りたかったからです。 そんな通天閣に朝から行列が出来ていたので今日はあきらめました。 い ...
井原西鶴は住吉大社で23500句の俳句を詠んだ。彼は矢数俳諧を催し超人的な記録を打立てた。
2024/9/30
井原西鶴が一昼夜で23.500句詠んだ場所がここ住吉大社です。 国立国会図書館蔵 摂津名所図会 寛政8-10 [1796-1798] 左右ページを連続 大矢数俳諧から100年後の住吉大社絵図 左に太鼓橋が見える。下を左から斜め下に走る大きな道が現在阪堺線が走っている紀州街道です 井原西鶴 ウィキペディアより 彼はそこで矢数俳諧(やかずはいかい)を催し、超人的な記録を打立てました。 一昼夜で詠む俳句の数を競う矢数俳諧を西鶴が催して、そのときに打立てた記録です。 それは、1684年、今から 340年ほど前 ...