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成海神社の祭神ヤマトタケルと神話の謎@名古屋市

成海神社(なるみじんじゃ)は延喜式にある格式の高い神社です。

主祭神は日本武尊(やまとたけるのみこと)です。

妃の宮簀姫(みやずひめ)、宮簀姫の兄の建稲種命(たけいなだねのみこと)を配祀しています。

この地に成海神社が鎮座したのは朱雀元年(688年)のことです。

宮簀姫の元にあった草薙剣が熱田神宮に移されたとき、と伝わっています。

成海神社は名古屋市緑区鳴海町乙子山85に鎮座しています。

成海神社の祭神は688年に鎮座した神社です。

日本武尊の東征の拠点は宮簀姫と建稲種命の居館でした。

父の景行天皇に命じられ東国平定のために征伐し、天皇に恭順させました。

そもそも日本武尊は天皇の支配地を広げるという役目が与えられていました。

その拠点としていたのが宮簀姫とその兄、建稲種尊の居館です。

現在の住所表記では名古屋市緑区大高町火上山になります。

現在この場所には氷上姉子神社(ひかみあねごじんじゃ)が宮簀姫を祭神として祀られています。

また、その近くには日本武尊と宮簀姫が住んだ寝覚めの里(ねざめのさと)があります。

そこには寝覚の里の碑が建っています。

潮騒の聞こえる海岸近くのリゾートのような場所に二人は住んでいたのだろうと思います。

ここは昔から多くの人に知られていたようで尾張名所図会の中に寝覚の里の地名を見ることが出来ます。

成海神社は格式高い神社なので歴史に時々顔を出します。

織田信長と今川義元が戦った桶狭間の戦いのときにも鳴海神社が出てきます。

この成海神社辺りは織田氏と今川氏の勢力の境界だったようです。

桶狭間の戦いがあった当時、この辺りは天白川の河口で、入り江になっていました。

成海神社は高台に鎮座しているので寄せ来る波の音が絶えずここまで届いていたのでしょう。

現在の地名の表記は鳴海となっています。

成海神社は格式高い神社です。社号標と説明版
成海神社のだるまの絵馬

成海神社(なるみじんじゃ)

平安時代初期の宮中の年中行事

や制度などを記した「延喜式」(えんぎしき)に

載る「愛知郡成海神社」にあたる

とされる格式の高いじんじゃである。

朱鳥元年(しゅちょうがんねん)(688)の創建といわれ

日本武尊(やまとたけるのみこと)、宮簀姫命(みやずひめのみこと)、建稲種命(たけいなだねのみこと)

を祭神とする。

初め、天神山(根古屋(ねごや))に在ったが、応永(1394-1428)のころ安原宗範(やすはらむねのり)が

鳴海城(根古屋城ともいう)を築くにあたり、この地に移された。

現本殿は棟札にあるように延宝5年(1677)の建立とみられる。

名古屋市教育委員会

成海神社は本殿にも格式を感じます。
成海神社境内

宮簀姫は日本武尊が伊吹山に出陣するときに草薙剣を預かります。

そして日本武尊が亡くなった後、妃の宮簀姫は彼の草薙剣を納めるために熱田神宮を創建し草薙剣を祀りました。

成海神社とあわせて参拝したい氷上姉子神社と上知我麻神社、そして熱田神宮。

宮簀姫が祭神の氷上姉子神社

宮簀姫が草薙剣を祀るために創建した熱田神宮、

建稲種命と宮簀姫の兄妹の父で尾張国造(おわりのくにのみやつこ)乎止与命(おとよのみこと)を祀る上知我麻神社(かみちかまじんじゃ、熱田神宮南門に鎮座)

にもお参りをおすすめします。

日本武尊を中心に熱田神宮の位置づけが体でわかります。

わかりにくい古代のことが、お参りするだけで勝手に頭に入ります。

しかし、そこには古代の日本の神々と歴史の沼が両手を広げて待ってくれています。

ぜひお勧めします。

お待ちしております。

氷上姉子神社HP https://www.atsutajingu.or.jp/jingu/about/yukari/yukari_detail03.html

熱田神宮HP https://www.atsutajingu.or.jp/jingu/index.php

上知我麻神社HP https://www.atsutajingu.or.jp/jingu/about/yukari/yukari_detail01.html

 

 

 

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