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秀吉の側室で豊臣秀頼の母、淀殿(茶々)の墓所がある太融寺@大阪市北区

太融寺(たいゆうじ)には淀殿(茶々)(1569-1615)の墓があります。淀殿の墓は明治時代のはじめまで大阪城の近くの城東区鴫野(しぎの)にありました。しかし。明治10年11月、そこに城東練兵場が造成されるにあたり太融寺に移祀されました。(...
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イバラの道は歩けない。丸腰ではとても歩けるはずがない。それでも剪定バサミでトゲを切り落とせば前進できる。@東山植物園

イバラの道は歩けない。ユズの木こんなイバラの道は丸腰では歩けるはずがない。それでも道具さえあれば進むことが出来る。剪定バサミがあれば自分でトゲを切り落としながら前進できる。ユズの木を見て、そんな教訓めいたことを思った。柚(ゆず)の木のトゲは...
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写真:JAあいち尾東中部ライスセンターに描かれたイラストと稲穂の借景。@日進市

稲刈の絵は秋の刈り入れ直前の田んぼの借景で完成します。下の絵にある、高圧線のある風景はこの辺り景色と特徴です。また、赤いトラクターも、見たことがあります。車で走っていると近くの盛り土のところで見かけることがあります。お城のイラストは小牧長久...
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写真:佐和山山麓の龍潭寺入口に座る石田三成像 @彦根市龍潭寺

彦根龍潭寺の石田三成像は、佐和山城山麓の龍潭寺(りょうたんじ)入口にあり、京都大阪の方角を向いて座っています。石田三成の居城、佐和山城へは上の写真に見える入口から入ります。龍潭寺の堂々とした山門をくぐります。そこからまっすぐの所にある観音堂...
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秋を探しにやって来たのに熱帯睡蓮の夏色に目を奪われてしまった。@東山植物園

秋を探しにやって来たのに熱帯睡蓮の放つ夏色のインパクトに目を奪われてしまった。東山植物園に秋色を探しに来ました。入口を入ると少し赤く染まったモミジが見つかります。赤く色付いているモミジの葉はまだ少ないのでとても目を惹きます。毎年早く紅葉する...
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1枚の葉から紅葉が始まっている@東山植物園

秋は1枚の紅葉から始まる。染まりかけた「はうちわカエデ」の葉を見つけてその木の上の方を探していると1枚だけ真っ赤な葉を見つけた。カエデの木は空気の冷たい木の一番高いところの葉から順に紅葉していきます。この木も毎年そうなのですが、高いところの...
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中秋の名月  

2023年の中秋の名月は9月29日でした。天候によっては月が見えないこともあるので雲が多くても前日にも撮っておこうと思い撮影ポイントに向かいました。満月の前日はたくさんの雲が空を覆ってましたが、強めの風が吹いていたので雲の流れが早く、雲の合...
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「三河本多一族」特別展を安城歴史博物館に見に行ってきました。@安城市

葵の紋を本多氏から貰った松平氏。それは噂ではなくて本当でした。特別展「三河本多一族」を安城市歴史博物館まで見に行ってきました。歴史博物館がある安城城址は、本多忠勝のお父さんもお祖父さんも織田との戦いのときに、ここでなくなっているという事実が...
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写真:アジサイの葉で羽化した蝉が、その命を終えるためにアジサイの花の元に戻ってきたのかもしれない。もうあまり動けないでいる。

羽化した蝉が戻ってきた。アジサイの葉で羽化した蝉が、その命を終えるためにアジサイの花の元に戻ってきたのかもしれない。もうあまり動けないでいます。羽化してからの蝉の寿命は1ヶ月ほどだといわれています。それでも鳴き始めて10日ほどすると、木の下...
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元禄赤穂事件で命を落とした吉良家の使い手 清水一学の墓が故郷の円融寺にある。@西尾市

歌川国芳 忠臣蔵十一段目 夜討之図 ウィキペディアより元禄赤穂事件(忠臣蔵)で命を落とした吉良家の剣の使い手、清水一学(1703年25歳没)は、そのとき赤穂浪士から主君、吉良上野介義央(きらこうずけのすけよしひさ)を守り討ち死にした吉良家の...
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若山牧水 像 @新城市 鳳来寺山表参道

鳳来寺山参道の若山牧水像9月17日は若山牧水 1885-1928 歌人。の命日です。存命なら138歳です。鳳来寺山参道の若山牧水像には徳利や酒杯が詰め込まれています。長年にわたる度を超えた飲酒が彼の命を奪いました。しかし悔いは無いような表情...
ナナちゃん

プリキュアスタイルのナナちゃん。@名鉄百貨店前

プリキュアスタイルのナナちゃん。お昼時にナナちゃんお前を通ったら、女性がスモホをかざして写真を撮っていました。今日(今週)のナナちゃんは女性が強く反応しているようです。今日は普段のファッションと違ってアニメチックなスタイルだなと思いながら近...
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名古屋駅前のモニュメント「飛翔」の撤去後工事の進捗状況。2023.08.30

撮影 2023.06.1720230830撮影 2023.08.30名古屋駅前のモニュメント「飛翔」の撤去後工事の進捗状況を見てきました。この前「飛翔」が撤去された後は、コンクリートの土台部分を残してしばらくそのままの状態でした。しかし今は...
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東京の三河稲荷神社は、家康の江戸移封の折にどうしても三河から連れてきたかった由緒ある神社です。@文京区

三河稲荷神社は縁起の良い神社です。東京の丸ノ内線本郷三丁目駅近くにあります。家康が1590年の江戸移封の折に、どうしても三河から連れてきたかった由緒ある神社です。三河一向一揆のときに20歳の家康は豊田市の隣松寺(りんしょうじ)に陣を敷き、目...
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松平家初代親氏の子で酒井家初代広親の血筋、徳川四天王酒井左衛門尉家と徳川内政の重鎮酒井雅楽頭家の上屋敷跡を歩いた。@千代田区大手町

左衛門尉家上屋敷跡の風景酒井雅楽頭家(さかいうたのかみけ)と酒井左衛門尉家(さかい左衛門尉家)の上屋敷跡は東京駅近くの超一等地にあります。今日は、その東京駅から歩いて数分の大手町にある酒井雅楽頭家(うたのかみけ)と酒井左衛門尉家(さえもんの...
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父、松平広忠の廟所に8歳の竹千代(家康)は松を植えた。その木は東に向かって大きく枝を伸ばした。松應寺。@岡崎市

松應寺横丁松平広忠の廟所松應寺に8歳の竹千代(家康)は松の木を植えた。その松は東に向かって枝を伸ばした。徳川家康公 父君松平広忠公御廟所(岡崎市指定文化財)この御廟所は、家康公が父君供養のために創った国内有数の格式と規模を誇る霊廟で、文化財...
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安城市歴史博物館はマニアックな展示があるので目が離せません。今日は特別展「徳川の支柱酒井氏 雅楽頭家と左衛門尉家」を見てきた。@安城市

いつものことですが、マニアックな展示がある安城市歴史博物館からは目が離せません。この日は、安城市歴史博物館で開催の特別展、「徳川の支柱酒井氏 雅楽頭家と左衛門尉家」を見に行きました。その歴史博物館は織田と松平の10年にも及ぶ安祥合戦で有名な...
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写真:石川数正の墓所のある本宗寺@岡崎市

石川数正の墓所と本宗寺。石川数正 天文2年(1533年)-文禄2年(1593年)1592?は、当時、家康の片腕として酒井忠次と共に大活躍した武将です。また、主君の家康は1543-1616なので石川数正は家康より10歳年上です。家康の家臣とし...
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写真:大久保彦左衛門のお墓参りをした。@愛知県岡崎市と東京都港区

大久保彦左衛門の墓大久保一族墓所墓の前の景色大久保彦左衛門のお墓参りをした。大久保彦左衛門忠教(おおくぼひこざえもんただたか)永禄3年-寛永16年(1560-1639)は、江戸時代前期の三河武士です。そんな大久保彦左衛門は、徳川家康、徳川秀...
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徳川四天王、榊原康政の生まれ育った上野城と隣松寺にある父と祖父の墓。@豊田市

徳川四天王、榊原康政の生まれ育った上野城は、豊田市の山々を望む小高い丘にあります。また、父と祖父の墓は、目と鼻の先の隣松寺にあります。見渡す限りの水田と寺に囲まれた上野城で1548年生まれた榊原康政は、徳川家康の家臣の中でも、徳川四天王・徳...
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てんのじ村の記念碑をみつけたので、おもわず手を合わせました。@大阪市

てんのじ村の記念碑を見つけて思わず手を合わせた。てんのじ村の記念碑は阪神高速環状線の阿倍野入口のすぐ横にあります。地名の天王寺村があったことは知っていましたが、上方芸人が多く住んでいた街がてんのじ村だったことは知らなかった。てんのじ村の記念...
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