人々の記憶から忘れ去られている古くからの名所、菊水の滝。訪れると今も人知れず昔の図会と同じように滝が流れ落ちていた。地元の人の多くはもうこの滝のことを知らない人ばかりだ。しかし往時を偲ばせる風情が今も残っています。
尾張名所図会の岩嵜瀧は、豊富な水量でかなりの高さから水が流れ落ちている様子が描かれています。現在の様子と比べてみると、撮影した日は水量は少なかったのですが、滝の姿は尾張名所図会とほぼ同じではないかと思います。
水量は季節により差があるでしょうし、滝の高さは図会の通りの位置から滝を見上げることができると、滝の高さも図会のとおりの迫力が感じられるのではないかと思います。
二本差しのお侍が従者と一緒に滝を見ている位置を現在の場所に置き換えて考えてみると、ちょうどコンクリートの水路の底あたりになるようです。その高さまで目線を滝壺の高さくらいまで下げられればこの図会のような感じになるはずです。
尾張名所図会に描かれているお侍は、滝をスマホで撮影しているように見えますが、まだこの時代にはスマホはなかったはずです。不思議です。
グーグルマップで尾張名所図会にあるとおり、「岩嵜滝」と入力して検索すると、ちゃんと滝の場所が表示されるので、簡単に見つけることができます。
グーグルマップで尾張名所図会にあるとおり、「岩嵜滝」と入力して検索すると、ちゃんと滝の場所が表示されるので、簡単に見つけることができます。
そして、実際に訪れてみると、地図の表記がそうであったように、現在は「菊水の滝」と言う呼び名だということがわかります。
ペイントされたコンクリート作りの石柱に滝の名前が刻まれています。そばには、お地蔵さんが立てられていました。
この滝は、岩崎御嶽山の水が、地形の段差を滝となって谷間に流れ落ちていきます。
この滝は、岩崎御嶽山の水が、地形の段差を滝となって谷間に流れ落ちていく水の道です。愛知県道の57号瀬戸大府東海線という幹線道路を挟んで、滝の西側には弁天池がありますが、この池の水と滝の水の流れが名所図会左下の二本差しのお侍と従者が描かれているあたりで合流しています。
名所図会ではお侍の目の高さくらいが滝壺のように描かれていますが、現在の水路が整備されている状況から判断すると、ちょうどコンクリート作りの水路の底あたり立つと、ちょうどお侍の目線の位置になります。
そこからこの滝を見上げると、尾張名所図会に描かれているような滝の高さに見えると思います。
滝の水量は季節によって異なるはずですが、雨が多い季節だとドドーッと水が落ちてくるのでしょう。
この滝がある山の上には御岳社などの神社や名古屋を見晴らせる平成展望台があります。
この山全体と近くの岩崎城や白山宮と一緒に令和の新名所として復活させられそうに思いました。