瀬戸市の窯垣の小径(かまがきのこみち)は人がすれ違うのもぶつかりそうな細い道なのに昔は陶器や磁器を焼く人達の物流のメインストリートだったとは想像できません。
荷車は通れないので天秤棒で重たい陶器を坂の下まで降ろしていたのでしょうか。そこから名鉄瀬戸駅まで運んで名古屋城の南西角にある堀川駅着いたら、こんどは「掘り」を利用して港まで運んだのでしょう。(現在、堀川駅はありません)
名鉄瀬戸線はJR(国鉄)とも大曽根駅で交差しているので、そこで積み替える荷物も多くあったかもわかりません。これは私の想像です。
陶磁器の輸出は重要な外貨獲得手段だったと思います。最盛期には町の中心を流れる瀬戸川は陶土で白く濁り至る所に立つ窯の煙突からは陶器を焼く煙が黒々と立ち上がっていたようです。
現在は環境汚染はなくなっていますが、そのような時代を経て現在に至っています。
この「窯垣の小径」は、言い方を変えると、昔は瀬戸の産業道路だったわけです。
時代を経てこのような風情ある小径に変わっていますが、立ち話する道幅の余裕もないので、よその家の庭先に入り込むしか方法がありません。
瀬戸のエリアには現在も作家の方が瀬戸や隣の赤津の町に新しく窯を構えて移り住んで活動されていますが、地域経済の再活性化までにはまだ道のりがありそうです。
陶磁器の製造は色々なカテゴリーを包含してセラミックスという土を焼き締める産業分野になるのだろうと思うのですが、例えば窯業製品である絶縁碍子やスパークプラグのようなものから、この先さらにまた「新しい成長分野が生まれると良いなー」と、この道を歩きながら思っていました。市のデータによると陶業分野の売上げは平成26年では460億円ほどです。
カフェを作って欲しいです。夏なので小径は影なのですがバテバテです。
瀬戸市観光案内 http://www.seto-marutto.info/