標高717mにある岩村城の創建は古く、鎌倉時代この地遠山荘の地頭に任じられた源頼朝の重臣加藤景廉が始まりで西暦1185年のことと伝わっています。
その加藤景廉の長男加藤景朝が岩村に移り加藤の性を地名の遠山に改めたのだそうです。以来遠山氏が代々居城し東濃地方から信州の一部までを勢力下としました。戦国動乱の後、関ヶ原の戦い以降は大給松平本家(おぎゅうまつだいらほんけ)二代、小牧長久手の戦いでの岩崎城(日進市)の戦いで弟以下全員が討ち死にして秀吉軍が家康の本拠地岡崎に侵攻するのを食い止めた功績のある丹羽氏五代が治めます。その後大給松平氏分家の松平氏七代を経て岩村城は明治維新を迎えることになります。
城の建造物は明治6年、西暦1873年廃城礼が出されるまでは存在していたのを説明書きで知り、お城がなくなってしまったことをとても残念に思います。
もし、今も登城口から急で曲がりくねった石畳の坂道に城の建物が残っていたとしたら
また、それらがこの六段壁にあった門や建物にまで続く史跡として残されていれば、どんなに素晴らしかっただろうかと想像してしまいます。
この六段壁の石垣の前に2本の電柱が立っていたので、思いを巡らせてきた想像の世界を破られてしまい「ちょっとそれはないでしょう」と感じたのでフォトショップを使って抜いときました。悪しからず!。
苦しい急坂を登ってこの景色が目に入ると感激します。
岩村藩の江戸屋敷は東京の丸の内、三菱UFJ銀行本店のある場所にありました。
その藩邸に岩村から移り住んだひとりの女性、日本の夜明けを女性の立場から担った下田歌子さんの物語がここから始まります。