三河一向一揆

写真

東京の三河稲荷神社は、家康の江戸移封の折にどうしても三河から連れてきたかった由緒ある神社です。@文京区

三河稲荷神社は縁起の良い神社です。東京の丸ノ内線本郷三丁目駅近くにあります。家康が1590年の江戸移封の折に、どうしても三河から連れてきたかった由緒ある神社です。三河一向一揆のときに20歳の家康は豊田市の隣松寺(りんしょうじ)に陣を敷き、目...
徳川家康

歴史ある本證寺の蓮の花は寺の内堀に咲きます。@安城市

本證寺の蓮が咲いたので見に行ってきました。
写真

写真:本宗寺の塀は門前を通る道から少し控えて建てられているので寺の前はゆったりとして落ち着いた雰囲気があります。

本宗寺の塀は門前を通る道から2mほど控えて建てられているので、寺の前はゆったりとして落ちついた雰囲気があります。時の権力者が誰かが寄進して建てた大きな山門こそありませんが、美しい筋塀に続く上品な山門が雅な景色を作っています。ただ、門に使われ...
徳川家康

妙源寺は三河一向一揆の時に家康をかくまい助けた寺院です。当時の本尊は増上寺の安国殿に安置されている黒本尊です。@岡崎市 

家康の念持仏黒本尊はもとは妙源寺の本尊でした。柳堂妙源寺は、三河一向一揆の時に家康をかくまい助けた真宗高田派の寺院です。1235年に親鸞が説法を行ったといわれる重要文化財の柳堂があります。JR西岡崎駅を挟んで少し南にある上宮寺の顕彰碑には、...
写真

写真:上宮寺は聖徳太子が全国巡業の折に見つけた霊樹で自らの像を造りそのお堂を作られたことを寺の起源として伝えています。1988年に消失した本堂は1996年にインドオリエンタル風のデザインで再建されており築地本願寺や名古屋西別院に似て洒落ています。

上宮寺は聖徳太子が全国巡業の折に見つけた霊樹で自らの像を造りそのお堂を作られたことを寺の起源として伝えています。1988年、三河一の伽藍を誇った木造の本堂を焼失しましたが、1996年にはこれまでのイメージを一新したデザインで建て替えています...
写真

写真:勝鬘寺の本堂の右側には立派な石碑が建てられていて、大きく彫ってある寺の名前の左には永禄六年三河一向一揆戦陣跡と刻まれています。開基は1258年。

勝鬘寺(しょうまんじ)の本堂の右側には立派な石碑が建てられていて、大きく彫ってある寺の名前の左には「永禄六年三河一向一揆戦陣跡」と刻まれています。開基は1258年とあります。JR岡崎駅南800mの所にあります。車は境内と外に駐められます。三...
写真

写真:小豆坂で戦いが多かったのは四方が見渡せる高台なので敵の動きが見える上に戦いに臨んで有利な高い位置から戦えるから。東から松平を救援に来る今川勢が幸田側に現れても美合に現れてもすぐに対応できる位置にあるから。

小豆坂で戦いが多かったのは四方が見渡せる高台だから。そしてここに陣を敷いておくと、敵の動きが見える上に戦いに臨んで有利な高い位置から戦えるから。そして織田方とすれば、東から松平を救援に来る今川勢が幸田側に現れても本宿を通り美合に現れてもすぐ...
写真

写真:本證寺は鎌倉時代後期の13世紀末ころに開かれたと境内の説明にあります。そのお寺が歴史的に有名になったのは三河の一向一揆の拠点となってからです。

本證寺山門と鼓楼と内堀愛知県安城市野寺町にある本證寺は鎌倉時代後期の13世紀末ころに開かれたと境内の説明にあります。そのお寺が歴史的に有名になったのは三河の一向一揆の拠点となったことによります。だだ、それ以降江戸時代から明治まで将軍拝謁や尾...
テキストのコピーはできません。