大樹寺

写真

写真:徳川幕府初期の政(まつりごと)に大きな影響力を持った春日局。彼女の念持仏が大樹寺に安置されています。@岡崎市

春日局の念持仏が徳川家の菩提寺の大樹寺にあります。徳川幕府初期の政(まつりごと)に大きな影響力のあった春日局(かすがのつぼね)。その彼女が毎日手を合わせて拝んでいた念持仏(ねんじぶつ)があります。それが愛知県岡崎市の大樹寺に客仏として安置さ...
写真

写真:大樹寺の桜が咲きました。まだ寒くて花曇りの日が多いのです。@岡崎市

主君の今川義元が名古屋市緑区の桶狭間で織田信長に討たれた時、松平元康(後の家康)は、同じ緑区にある大高城を守っていた。今川義元が討たれたとの情報を得た元康は情報の真偽を確かめた上で大高城を捨て、わずかな手勢とともに追手から逃れて松平家の菩提寺、岡崎市の大樹寺に入った。
写真

写真:大樹寺の三面八臂の馬頭観音像は、正面の人にも、右側を通って多宝塔に参る人にも、そして三門の外の歩道を歩きながら石垣の隙間から覗いていく人にも、チャンと目線を合わせてくれます。サービス満点です。

大樹寺の三面八臂の馬頭観音像は、正面の人にも、右側を通って多宝塔に参る人にも、そして三門の外の歩道を歩きながら石垣の隙間から覗いていく人にも、チャンと目線を合わせてくれることです。サービス満点です。ところが、正面から見る限り左右の顔がそんな...
徳川家康

徳川家の菩提寺、愛知県岡崎市の大樹寺には、松平家初代から徳川家康までの松平家九代の墓があります。

徳川家の菩提寺大樹寺。大樹寺鐘楼本堂屋根瓦松平八代墓所大樹寺愛知県岡崎市の大樹寺には、松平家初代から徳川家康までの松平家九代の墓があります。亡くなった年齢を見ると、家康の父広忠と祖父清康は家臣に暗殺されてしまい、24歳と25歳という若さで亡...
写真

写真:考える人(ロダン)には美しいS字ラインが隠されています。このラインは像を彫刻するときの黄金律です。しかし、このS字ラインを必ずしも彫刻作品に取り入れなければならないという訳ではありません。

京都国立博物館考える人(ロダン)には美しいS字ラインが隠されています。このラインは像を彫刻するときの黄金律です。しかし、このS字ラインを必ずしも彫刻作品に取り入れなければならないという訳ではありませんが、この美しい揺らぎは、見る人に微妙な美...
写真

写真:大樹寺は、松平、徳川家の歴代にわたる菩提寺です。桶狭間の戦いの後、松平元康(家康)は大高城から先ずこの大樹寺に入り領主としてのスタートを切りました。

大樹寺は、松平、徳川家の歴代にわたる菩提寺です。松平氏四代・親忠が建立しました。織田信長と今川義元が戦った桶狭間の戦いの後、松平氏九代元康(家康)は大高城から先ず岡崎のこの大樹寺に入り3日間滞在の後岡崎城に入り三河岡崎の領主としてのスタート...
写真

写真:大樹寺の宝塔入り口の馬頭観音像の向こうの羅漢たちは、気まま間放題。ひと目なんか気にしていません。

大樹寺の羅漢は気まま放題。自由気ままな人の姿の見本市です。うつ伏せたまま、それも両足を揃えて足の裏を見せながらこっちを見ている羅漢像。面倒がらずに体を起こしなさい!。大樹寺の宝塔入り口の馬頭観音が教えてくれた、あっちこっちにいる羅漢像はあま...
写真

写真:家康がひとり立ちする最初のピンチを救った大樹寺の羅漢像の中には怪しげなポーズの奴もいる。きっと人に見られたら困るようなことをこっそりとやっているに違いないのだ。

家康がひとり立ちする最初のピンチを救った大樹寺の羅漢像の中には怪しげなポーズをしている奴もいます。きっと人に見られたら困るようなことをこっそりとやっているに違いないのです。何か隠し事のありそうなビクビクした目でこっちを見ています。羅=羅漢さ...
写真

写真:家康がひとり立ちする最初のピンチを救った大樹寺。山門横の羅漢像は体全体で喜怒哀楽を表現しています。

家康がひとり立ちする最初のピンチを救った大樹寺にある羅漢像は山門の近くの目立たぬ場所にあって喜怒哀楽を奔放に体全体で表現しています。羅漢像と対話しながらひとつひとつ見て回ると、こんがらがってもつれてしまった心が解(ほど)けます。羅漢像には表...
テキストのコピーはできません。