東海道五十三次最大の宿場、宮宿の七里の渡しの船着場跡に立って昔の賑わいをイメージしていたら、遠くをドクターイエローが横切った。
メージが途切れたけどうれしい!。
ドクターイエローの鼻先は写せなかったけど、車体が黄色いのでドクターイエローだとひとめでわかります。
七里の渡し(宮の渡し)の船着き場跡の写真と昔の図絵と比較してわかること。
七里の渡し(宮の渡し)の船着き場跡の写真と昔の図絵と比べてみるとわかりやすいのではないかと思い、船着場の写真と尾張名所図会、広重の 宮に描かれている七里の渡し船着場を常夜灯を起点として比べてみました。
常夜灯は、写真では中央やや右にある緑がかった屋根のある小さな建物です。
尾張名所図会では見開きの中央の右、やや下に灯篭のようなものが描かれています。
広重の 宮 では右の突堤のところに見えます。
これが常夜灯です。
これで頭の中にイメージが描けたのではないでしょうか。
常夜灯はを探せば夜になっても沖から船着き場の位置がわかります。
その常夜灯から海を見ると現在はこのように見えます。
広重の絵がわかりやすいのですが、この写真の船着き場を挟んで堀川の向こうに見える建物は当時は全くなくてすべて海だったのです。
ここから桑名は右方向になります。
旅人を乗せた帆掛け船がのんびりと一艘で行き来しているのではなくて、何艘もの帆掛け船が旅人をいっぱい乗せて次から次と船着き場に入ってくる様子が描かれています。
もちろんここ 宮宿から桑名宿に向かって次々に帆掛け船が団子状態で出航して行ったことは容易に想像できます。
それに加えて海上を船を使って貨物を輸送していると思われる荷役の船も名所図会に描かれています。
これはもう、のんびりではなく、けたたましく荷揚げ荷積みの声が飛び交い、客船と貨物船の出船入船でごった返していた場所だったことがわかります。
当時の喧騒が時代を超えて耳に聞に届きます。
名所図会や広重の 宮 の絵にあるお城のような建物は尾張藩東浜御殿で、下の写真を撮影したこの場所にあった思われます。
名古屋市は、この旧跡を宮の渡し公園として整備し往時をしのぶことができるようにしています。
整備されたこの宮の渡し公園は、1984年第一回名古屋市都市景観賞を受賞しています。
当時を全く知らない私でも七里の渡しの賑わいをイメージできたのです。
とても価値のある公園だと思います。
それから、七里の渡しと宮の渡しは呼称が異なりますが同じ渡しです。
また近くの標識にはオールド フェリーとローマ字で書いてありました。
フェリーなんですね。
渡しの名前が、七里と宮の二つが使われますが、熱田神宮や宿場を意識した時には「宮」を、渡しの機能を意識した表現では「七里」を使ったのだろうと思いながらここからの風景を眺めていました。