姿形だけになっても趣ある美しさを見せてくれた紫陽花が以前からここに植えられているのは知っていて、花の最盛期には毎年美しい姿を見せてくれていたのですが、すっかり花から色が抜けて姿形(すがたかたち)だけになってしまってからでも、また違った趣ある美しい姿を見せてくれているのには感動しました。
紫陽花の見頃は6月から7月の梅雨どきですが、梅雨どきの花のシーズンを超えて寒い冬の2月になっているというのにもかかわらず、これまでとは違った花の美しさを見せる紫陽花に惹かれてずっと眺めていました。
この紫陽花があるのは、すぐ南側に高い木のある小径の傍なので、西日しか当たらないその影響からか開花の時期は毎年遅めです。
この花は、もとは薄いブルーだったことを知っていたので余計にその変化した姿が印象的だったのです。
美人の女性がおばあさんになっても美人だった。そんな真理の一面を見てしまったという印象を受けたのでした。
1931年ニューヨーク生まれのスーパモデル、カルメン・デロリフィチェさんのことが頭に浮かんだことを思い出します。
この紫陽花の花が残ったまま迎えた翌年の開花の季節には新しい花は咲きませんでした。
この枯れてもなおきれいだったこの紫陽花の花は、越冬して翌年のシーズンまで朽ちずに残っていました。
茎からは緑の葉が芽を出していましたが、茎の先にまだ残っていたままの昨年の花が付いたままで、今年の花の開花に障害となったのでしょう。去年はこの紫陽花には新しい花が咲きませんでした。
その後しばらくは花の形を保っていましたが、とうとう強い梅雨の雨が去年の紫陽花の花を強く打ち続けて地面に落としてしまいましたが、その紫陽花はその年はもう花を咲かせることはありませんでした。
シーズンが終わった花は、翌年に新しくきれいな花を咲かせるために「残っていてはいけない」という自然の掟があったのでした。
よく出来る上司の部下に人が育たないとか、老害とかを政治や経営、組織運営の場で言われることがありますが、この紫陽花はそのことを自らの姿を通して教えてくれたように思います。
この紫陽花が咲かなかった年のシーズンが終わると紫陽花は枯れた花の部分をカットされて剪定されていました。
枯れた花をカットして剪定された紫陽花は、今年は写真のとおり花を咲かせています。元の立派な花を咲かせるのは来年になると思いますが、元に戻るまでに3年かかったことになります。
何かを学び身につけたり、失った売上げを回復させるためにはそのくらいの時間は必要ですから、よく言われるV字回復は希望であって、自然の摂理に反しているのではないでしょうか。こんなことを思わせた紫陽花でした。
紫陽花に説教されたことを伝える記事になりました。
使ったカメラ
Panasonic L10 LEICA D Vario-Elmar 14-50mm F3.8-5.6