京都に向かう旅人が長野の塩尻や諏訪方面から伊那谷を通って、飯田街道から東海道に入り京に上る道筋の重要な案内が八事山興正寺の山門前にあります。「是よりあつたちか道」と書いてある道標はとても重要な道案内だったはずです。是を見つけた多くの旅人は緊張が解けてほっとしたのではないでしょうか。
「是よりあつたちか道」と書いてあるのは熱田神宮を指すのではなくて、熱田神宮の傍にある七里の渡しの渡し場を指しているのだということはピンときます。昔、東海道は名古屋を通らずに、熱田から三重の桑名までの間は船旅でした。
つまり遠回りになる名古屋を通らずに海を船でショートカットしていたと言うわけです。いわゆる名古屋飛ばしは昔から旅人にとっては普通のことだったのですが、名古屋城の天守閣に輝く金鯱はこの七里の渡しからも輝いて見えていたと金鯱の展示会資料?で読んでいて憶えています。
きっと旅する前に、挙母を発って5里ほど行くと八事の山の峠を過ぎたところに大きなお寺があるので・・
きっと旅する前に、「挙母(ころも、豊田市の旧名)」を発って5里ほど行くと山の峠を過ぎたところに大きなお寺があるので、そこを左に行けば熱田の七里の渡しだ」と教えられて旅してきたのでしょう。もちろんその八事山興正寺(やごとさんこうしょうじ)にお参りして、ここで一服もしたことでしょう。飯田街道をここで左に折れて6㎞歩くと熱田の七里の渡し場に着きます。
この興正寺は真言宗の別格本山として尾張徳川家と深い関係が続いてきました。そのようなこともあり境内は広く古色が寺の重厚さに一層の歴史を感じさせています。
とは言いながらも、山門をなくして入り口を広くしながら、少しずつ手を加えることで次の世代につなげる動きもあります。新しく像立された大仏や石仏もそういった活動の一環だろうと思っています。新幹線の車内冊子に広告を出すなどしてイメージ戦略を加えながら、その価値を今の時代に合わせようと頑張っているのが伝わってきます。
中門を入ると、昔あったお地蔵さんが見つからない。
中門を入って見返った両脇にあった古いお地蔵さんが見つからなかったので、お寺の方の伺うと「脇の新回廊」にお祀りしてあることを教えてくれたので写真を撮っておきました。
私にはそのお地蔵さんが優しいおばあさんに見えていたのですが、実は弘法大師だったのだそうです。そういう出来事があったのでずっと気になっていました。
使ったカメラ Panasonic L10 レンズ LEICA D Vario-Elmar 14-50mm F3.8-5.6