名古屋城本丸御殿対面所は上段之間と一之間を廊下から見通しで撮れませんでしたが格調高く控えめで品のある意匠です。御殿それぞれの間は、襖の絵や造りによって部屋の役割にふさわしく仕上げられています。撮影をパターン化することで、撮影した写真を後で整理するときに間違いを少なくするための工夫を考えていても、実際に現場に行くと障子の開き具合や光りの具合が撮影するには不都合だったりする場合があります。
上段之間が思った角度から上手く撮れなかったり、また撮影できる方向が他の部屋とは違ってしまったりする場合があるのですが、それでも撮影した写真を誰かが見てくれたときのことを考えて、混乱させないように工夫して撮っておかないと連続して見てはもらえません。
そんなことを避けるために、撮影の現場では、撮影した写真ごとの連続性を失わないために、つなぎの役割のために撮る写真が必要です。そのためには、どこを写し込んでおけばよいのかを考えながら撮っておく必要があります。写真を見てくれる人のイメージを途切れさせないための1枚です。
よく使う方法今申し上げたように、撮影範囲の中に特徴あるものをいずれの写真にも(小さくてもいいので)写し込んでおくようにします。その写真が飛躍してしまい、連続性を失いがちな写真同士をつなげてイメージの橋渡しをしてくれます。
枚数の少ない写真では、写真の流れを滑らかにつなげずに、ぶつ切りにして気分を変えて大胆な方法で情報を伝えます。
雑誌の記事などに多くその例が見られます。
名古屋城本丸御殿の対面所の説明にはこのようにあります。
藩主が身内や家臣との私的な対面や宴席に用いた部屋です。上段之間(18畳)、次之間(18畳)、納戸(なんど)一之間(24畳)、納戸(なんど)二之間(24畳)の4部屋で構成されています。上段之間及び次之間の障壁画は、「風俗図」と呼ばれ、京都や和歌山の四季の風物や名所、風俗がおだやかな筆致で描かれています。絵師は狩野甚之丞(かのうじんのじょう)と推定されています。黒漆塗(しっくい)の天井板に金箔が貼られた、なんとも豪華な折上小組格天井(おりあげこぐみごうてんじょう)も見どころです。
京都は都なので名所や風俗が描かれていることに違和感がないのですが、いきなり和歌山の敷きの風俗野名所が描かれているというのは、親戚の紀州徳川家藩主が尾張にやって来たときにもてなしていたからなのでしょうか?。もしそうだとしたらその気の使いようは尋常ではありません。
廊下の幅がとても広い
御殿の間(部屋)の広さは18畳とか24畳ですが、本丸御殿のサイトでは御殿内を採寸できるので測ってみると、畳敷きの廊下の幅が畳一畳の長辺6尺3寸(191㎝)の倍3.8mほどあります。つまり、京間の6畳敷きの畳の部屋が幅広の向きでずっと続いているのが廊下という感じです。
藩主や近しい人達が対面するときには、ここに近づく者を防ぐためにこの畳の廊下に何人かの侍が座って警備していたのでしょう。
タイムスリップできそうです。
本丸御殿のサイトの画像をキャプチャーして使わせて頂きました。
名古屋城本丸御殿 https://www.nagoyajo.city.nagoya.jp/guide/honmarugoten/