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写真 寺社仏閣 徳川家康

写真:「是字寺」(ぜのじでら)「是」の字を左手に握る初夢を見た徳川家康のお祖父さんの松平清康公は、高名な模外惟俊(もがいいしゅん)和尚にその夢の謎を尋ねると、「これは天下人の吉兆」と謎解きをした。

龍海院是字寺三門の扁額

「是」の字を左手に握る初夢を見た徳川家康のお祖父さんの松平清康公は、岡崎の北にある龍渓院の住職、模外惟俊(もがいいしゅん)和尚にその夢の謎を尋ねると、「これは天下人の吉兆。是という字を分解すると、日の下の人と書く。つまり日の下の人、天下人を意味する。

この天下人を意味する是の字を手中にしたということは、清康公あなたか、遅くともあなたから三代までにはきっと天下人が現れるであろうと、そういう吉夢にございます」と即答した。

このように夢の謎解きをしたことを清康公は喜び、龍渓院の模外和尚に寺を建てて与えたのがこの龍海院(是字寺)です。

1530年松平清康公が20歳のときのことだそうです。

この龍海院が「是字寺」と呼ばれるのは、そのようないきさつがあったからです。

是字寺の本堂は寺としてはあり得ない北向きです

また、寺の本堂はだいたいが南向きなのですが、ここ是字寺の本堂は北向きに建てられています。その理由は、乙川を挟んですぐ北にある岡崎城があるので松平清康公への礼を忘れないために北向きの方角に建ててあることが伝わっています。

本堂の裏、屋根の高さのあたりに酒井雅楽助正親の墓があります。

本堂の裏、ちょうど屋根の高さのあたりの裏山の墓地に酒井雅楽助正親の墓があります。 また徳川の筆頭酒井家の菩提寺となったいきさつは、松平家にはすでに大樹寺という菩提寺があり、清康公が是字寺を建てたとはいえ、是字寺を松平家の菩提寺にはできないので、家臣の酒井雅楽助正親(さかいうたのすけまさちか)にこの寺の守りをさせたと伝わっており、本堂の裏、屋根の高さのあたりに酒井雅楽頭正親の墓があります。

徳川家康が江戸に移り、酒井雅楽助家も前橋城主となり、そこにも岡崎の是字寺と同じ菩提寺の是字寺を作りました。そういうわけで、是字寺は、ここ岡崎と前橋の二ヶ所にあります。

是字寺の本堂は印象的な建物で、ムーミンの物語に出てきそうな、大きなマッシュルームのような緑の屋根が特徴です。

是字寺の本堂は印象的な建物で、ムーミンの物語に出てきそうな、大きなマッシュルームのような緑の屋根が特徴です。
境内には、いきなり子供用の滑り台があり目にとまります。設置位置は異なりますが、ウィキペディアで見つけた昔の本堂の写真を見ても滑り台があったことがわかります。

子供の遊び場として境内を開放してきた歴史があるのでしょうか。それとも家族連れで墓参に訪れたときに、退屈する子供たちを遊ばせておく遊具として設置されているのでしょうか。いつか機会があれば尋ねてみようと思います。

日の低い冬場には、レンズに日の光が入っていまうので逆光に悩まされます。

是字寺石柱

撮影していて思ったのですが、本堂が北向きなので、ちょうど太陽の方向に向いて写真を撮ることになります。とくに日の低い冬場には、レンズに日の光が入っていまうので逆光に悩まされます。寺の名前が彫刻されたの石碑は、逆光ではコントラストが強すぎてうまく撮影するのに苦労します。午後は本堂の裏の山から右側に太陽が顔を出すのでなかなかうまく写せませんでした。

資料

池田友厚住職による岡崎市「是字寺」についての講演録。http://www.okazakicci.or.jp/konwakai/19okazakigaku/19-2.pdf

岡崎ルネサンス 是字寺 https://citypromotion.okazaki-kanko.jp/report/life-kk-06

前橋市の是字寺HP http://xn--90ww68fedg.jp/

使ったカメラとレンズはこちら

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