写真 風景

写真:新世界の通天閣に登りたかったので天王寺から歩きましたが入口に長い行列が出来ていたのであきらめた。@大阪市

2024/7/13

新世界の通天閣に登りたかったので天王寺から歩きました。 まだ午前中でしたが入口に行列が出来ていたのであまり時間がとれないのであきらめました。 通天閣の入場料は1,200円です。 入場料1,200円にプラス300円で地上94.5mの特別野外展望台「展望パラダイス」と跳ね出し展望台に行くことが出来ます。 私はそこから写真を撮りたかったのです。 筆者は、高いところは好みませんが、カメラのファインダーを覗くと人が変わって怖いもの知らずに変身できるので大丈夫なはずです。 それなら、あべのハルカスから撮ればいいのでは ...

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写真:井原西鶴は住吉大社の門前で一昼夜で詠む俳句の数を競う矢数俳諧を行い、23,500句を詠むという超人的な記録をもっている。

2024/7/11

国立国会図書館蔵 摂津名所図会 寛政8-10 [1796-1798]  左右ページを連続  大矢数俳諧から100年後の住吉大社絵図 太鼓橋が見える。下を左から斜め下に走る大きな道が現在阪堺線が走っている紀州街道です 井原西鶴 ウィキペディアより 井原西鶴は住吉大社の門前で一昼夜で詠む俳句の数を競う矢数俳諧を行い、23,500句を詠むという超人的な記録をもっている。 1684年、今から 340年ほど前の6月5日に、井原西鶴は42歳の時に住吉大社の門前で矢数俳句を催し一昼夜で詠んだ俳句が23,500句だそうで ...

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写真:源氏物語の14帖澪標(みおつくし)の舞台、住吉大社。@大阪市

2024/7/10

源氏物語の14帖澪標(みおつくし)の舞台、住吉大社と云ってもどのような物語の場面なのでしょう。 住吉大社には俵屋宗達が描いた「源氏物語関屋澪標図屏風」のうちの等倍澪標図の陶板写し絵が参道脇に飾られています。 平安の貴族の女性たちは、源氏物語のこういった光源氏とのすれ違いに感情移入して涙したのでしょう。 この屏風絵を見ただけで物語の名場面の空気が感じられます。 源氏物語の14帖澪標(みおつくし)とは 光源氏が播磨国明石に流されていたときに契った明石の君が船で住吉大社に参詣に参りました。 そうしたら、偶然にも ...

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写真:住吉大社までは風情ある阪堺線のチンチン電車で行こう。恵美須町から乗って12駅目で住吉鳥居前駅に到着。@大阪市

2024/7/10

住吉大社までは風情ある阪堺線のチンチン電車で行こう。 恵美須町から乗って12駅目で住吉鳥居前駅に到着。 通天閣の西にある恵美須町駅から乗って12駅目で住吉鳥居前駅に到着。 大阪市の南の住人なら誰でも乗っている日常の足です。 愛されています。 路面電車がバスに変わり消えてしまった街が多いにもかかわらずレトロ感を振りまきながら頑張っています。 カラーリングにも目を向けると懐かしい大阪の街の美しさ引き立つように思います。 思い浮かんだのは、プラハの市電のようなイメージです。 ちょうど黄色と水色の配色にレトロモダ ...

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写真:住吉大社がこの場所に鎮座したのは三韓征伐の航海の無事と戦いを勝利に導いた三神を祀ると決めた神功皇后(應神天皇の母)の意思でした。

2024/7/8

住吉大社本宮入口の鳥居。住吉神社と書いてあります。 住吉大社正面門越しに見える太鼓橋 住吉大社がこの場所に鎮座したのは三韓征伐の航海の無事と戦いを勝利に導いた三神を祀ると決めた神功皇后(應神天皇の母)の意思でした。 住吉大社のHPの解説では、境内には4棟の本殿があり、それぞれに神が祀られています。 建立は、神功皇后摂政11年(西暦211年)です。 住吉神宮の祭神は底筒男命、中筒男命、表筒男命の三神と神功皇后です。 伊弉諾尊(いざなぎのみこと)が妻の伊弉冉尊(いざなみのみこと)のいる黄泉の国から逃れてきた出 ...

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写真:住吉大社遣唐使進発の地顕彰碑に感動!@大阪市

2024/7/5

住吉大社遣唐使進発の地顕彰碑絵:水江東穹(みずえとうきゅう)作 住吉大社遣唐使進発の地顕彰碑に感動! 住吉大社には石に絵の陶板をはめ込んだ遣唐使進発の地の顕彰碑があります。 2019年に製作された碑ですが見入ってしまう出来映えです。 西暦630年頃に住吉大社の前の港から遣唐使の船が出航する様子を描いています。 遣唐使に任じられた人達は奈良から大和川を下り、細江川を使って住吉大社に到着しました。 住吉大社のすぐ南を流れる細江川に停泊する遣唐使船に乗り込んで航海に出たようです。 この絵は、遣唐使が乗り込んでい ...

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写真:源頼朝はここ三河と尾張の国境いにある鎌倉街道の名勝地、二村山を越えて京都に入った。そして右近衛大将に任じられた。

2024/7/10

鎌倉街道の名勝二村山からの尾張国の眺め。中央に鈴鹿山地と伊吹山が見える。その山が交わる谷間が関ヶ原。当時はその少し右下に頼朝公が生まれた熱田神宮辺りが見えたはずです。右のビル群は名古屋駅付近です。 源頼朝公は1190年に三河と尾張の国境いにある鎌倉街道の名勝地、二村山を越えて京都に入りました。 そして右近衛大将に任じられています。 彼は、京都までの道中で、この景色にいちばん感動したに違いありません。 頼朝公の心の中ではいろいろな思いが巡りきたはずです。 頼朝公の母の実家は熱田神宮です。そして父義朝公は尾張 ...

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写真:完成したばかりの中日ビルは、大阪のあべのハルカスにはじめから負けとるやん。喝!。

2024/7/5

中日ビル あべのハルカス 完成したばかりの中日ビルは、大阪のあべのハルカスにはじめから高さが負けとる。喝!。 中日ビルとあべのハルカスは形が似ているけど中日ビルは高さが低くてハルカスの半分ほどです。 名所感が不足しているようにも見える。 とはいっても、中日ビルにはまだ入ったことはありません。 高さは、中日ビル158m   あべのハルカス300m  遠目に見るハルカスのペラペラ感は気になりますが、中日ビルも勇気出してペラペラでもいいから高くしてほしかった。 負けるなよ、もー。 それには事情があるはずなのです ...

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写真:名古屋のテレビ塔前の池でゴジラが地味に暴れていた。

2024/6/25

名古屋のテレビ塔の前の池でゴジラが地味に暴れていた。 カメラを向けるとcome on! come on!といいながらパフォーマンスしながらポーズを決めてくれました。

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写真:二むらや三河に出る秋の月 岳輅

2024/6/27

二むらや三河に出(いず)る秋の月   岳輅(がくろ) 二村山(ふたむらやま)は昔から鎌倉街道の歌枕として知られ、眺望に優れていた。 江戸時代の中頃名古屋乗西寺の住職岳輅(がくろ)が志朗とと月見に訪れた際に詠んだ句で、 寛政6年(1794)の「麻刈集」に載っている。 豊明市観光協会 名古屋市緑区と豊明市の境あたりにある鎌倉街道の名勝、二村山(ふたむらやま)に登りました。 といっても標高80mほどの山にある鎌倉街道の峠です。 そこにあった立て札を見て岳輅と士朗がわざわざ名古屋から見に来た三河に昇る月をどうして ...

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写真:源氏物語の14帖澪標(みおつくし)の舞台、住吉大社。@大阪市

源氏物語の14帖澪標(みおつくし)の舞台、住吉大社と云ってもどのような物語の場面なのでしょう。

住吉大社には俵屋宗達が描いた「源氏物語関屋澪標図屏風」のうちの等倍澪標図の陶板写し絵が参道脇に飾られています。

平安の貴族の女性たちは、源氏物語のこういった光源氏とのすれ違いに感情移入して涙したのでしょう。

この屏風絵を見ただけで物語の名場面の空気が感じられます。

源氏物語の14帖澪標(みおつくし)とは

光源氏が播磨国明石に流されていたときに契った明石の君が船で住吉大社に参詣に参りました。

そうしたら、偶然にも光源氏の華やかな一行に遭遇してしまいます。

明石の君は光源氏と自分との身分の差を目の当たりにし、光源氏には会わずに船の中から住吉大社に手を合わせます。

光源氏は明石の君が来ていたことを後で知り、彼女の気持ちを慰めてやりたいと思い歌を届けさせました。

「みをつくし 恋ふるしるしにここまでも めぐり逢ひける縁(えに)は深しな」

(身を尽くして恋するしるしに、ここでもめぐり逢えたのは、あなたとの縁が深いからなのですね)

明石の君は光源氏の気遣いに涙し 歌を返します。

「数ならで難波のこともかひなきになどみをつくし思ひそめけむ」

(あなたにとっては取るに足らないわたくしなのに、住吉大社ですれ違ってしまいました、どうして身をつくして、あなたを思いそめてしまったのでしょう)

現代の言葉に変換するのは言葉に意味が重なったりするので難しいのですが、だいたいこのような感じではないかと思います。

「京都・宇治 式部郷」のページに筆者好みの解説があったので引用させて頂きました

平安時代の高貴な女性たちがこの源氏物語に一喜一憂した様子が目に浮かびます。

紫式部は天才です。

源氏物語は平安時代、1000年も前に紫式部が書きました

この屏風絵の部分だけを考えても、1000年も前に生まれた日本が世界に誇る文学作品と評価されているのが理解できます。

■鑑賞

二月、帝(みかど)は譲位して、朱雀院(すざくいん)と申しあげ、おんとし十一歳の冷泉帝(れいぜいてい)(実は源氏の子)が即位なさいます。御代(みよ)改まり、宮中に返り咲いた源氏の殿は内大臣(うちのおとど)へと昇進され、源氏一門はこのうえなく華やぎました。 三月には、明石の君に姫君がお生まれになります。このことを知った紫の上は、心おだやかではありません。源氏の殿は自分には三人の子が生まれ、それぞれが、帝、后、太政大臣(だじょうだいじん)になるという予言を思い出されます。その秋、お願果たし(お礼参り)に住吉詣でにお出かけになります。偶然、舟を仕立ててお参りに来ていた明石の君は、きらびやかな源氏一行を、遠くから眺めるばかりでした。「君はゆめにも知りたまわず・・」明石の君は、逢うことのかなわぬ身分の差を思い、そっと涙するのでした。

「京都・宇治 式部郷」

澪標(みおつくし)とは舟のために水路に目印として立ててある杭の事です。

大阪市の市章は澪標です。

「源氏物語関屋澪標図屏風」(げんじものがたりせきやみおつくしずびょうぶ)のうち澪標図

「源氏物語関屋澪標図屏風」(げんじものがたりせきやみおつくしずびょうぶ)のうち澪標図の説明があります。

国宝

「源氏物語関屋澪標図屏風」(げんじものがたりせきやみおつくしずびょうぶ)のうち澪標図

俵屋宗達 出生年不詳 作画期は慶長~寛永期(1596~1644)

寛永8年(1631)

かつての住吉大社は、眼前に青い海と白い砂浜が広がり、社前まで入り江が伸びた風光明媚な

場所でした。古来、航海の守神として崇敬され、遣唐使は住吉の地から船出し、平安貴族は

和歌の神様としても信仰しました。

「源氏物語」第十四帖「澪標」(みおつくし)を題材にした本作には、中央に住吉大社を参詣する光源氏の牛車と華々しい一行、右に明石君(あかしのきみ)が乗る船、左に住吉大社の象徴である反橋(通称:太鼓橋)と鳥居が描かれます。物語では源氏一行に遭遇した明石の君は、身分の違いを思い知り、参詣せずに浜を去りました。

作者の俵屋宗達は「風神雷神図」を描いた京都の絵師。本作では、牛車に乗る光源氏も船中の

明石の君も描かずに男女のすれ違いを表現しています。金箔、白浜、緑の松など、大胆な画面構成、色彩の対比が観る者を魅了する作品です。

本品は静嘉堂文庫美術館の監修を受け、陶板で正諾した原寸大複製です。

製作:大塚オーミ陶業株式会社

国宝の澪標図屏風は、1896年醍醐寺から宮崎弥太郎の寄進の返礼として静嘉堂文庫に収められた。

俵屋宗達(生没年未詳)は、慶長~寛永期(1596~1644)の京都で活躍した絵師で、尾形光琳、酒井抱一へと続く琳派の祖として知られる。宗達は京都の富裕な上層町衆や公家に支持され、当時の古典復興の気運の中で、優雅な王朝時代の美意識を見事によみがえらせていった。『源氏物語』第十四帖「澪標」と第十六帖「関屋」を題材とした本作は、宗達の作品中、国宝に指定される3点のうちの1つ。直線と曲線を見事に使いわけた大胆な画面構成、緑と白を主調とした巧みな色づかい、古絵巻の図様からの引用など、宗達画の魅力を存分に伝える傑作である。

寛永8年(1631)に京都の名刹・醍醐寺に納められたと考えられ、明治29年(1896)頃、岩﨑彌之助による寄進の返礼として、同寺より岩﨑家に贈られたものである。

静嘉堂文庫のHPにはそのような説明があります。

静嘉堂文庫美術館は東京都千代田区にある美術館です。

 

   

 

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