源氏物語の14帖澪標(みおつくし)の舞台、「住吉大社」と云っても
それは、源氏物語のどのような場面なのでしょうか。
さいわいにも住吉大社には俵屋宗達が描いた「源氏物語関屋澪標図屏風」の
澪標図の等倍の陶板写し絵が参道脇に飾られています。
その屏風を見ていると平安の貴族の女性たちは、源氏物語のこういった光源氏とのすれ違いに
自分も登場人物と一緒に涙したのでしょう。
この屏風絵を見ただけで物語の名場面の空気が感じられます。
源氏物語の舞台が住吉大社だったのかと見入ってしまいました。
源氏物語の14帖澪標(みおつくし)の舞台は住吉大社
光源氏が播磨国明石に流されていたときに契った明石の君が船で住吉大社に参詣に参りました。
そのときに、偶然にも光源氏の華やかな一行に遭遇してしまいます。
そんな一行に圧倒された明石の君は、改めて光源氏と自分との身分の差を目の当たりにし、
会いたいけど会えない気持ちに絶えながら船の中から住吉大社に手を合わせるのでした。
そのようなことを知らない光源氏は明石の君がここに来ていたことを後で知ります。
そして明石の君の気持ちを慰めてやりたいと思い、歌を届けさせました。
「みをつくし 恋ふるしるしにここまでも めぐり逢ひける縁(えに)は深しな」
(身を尽くして恋するしるしに、ここでもめぐり逢えたのは、あなたとの縁が深いからなのですね)
明石の君は光源氏の気遣いに涙し 歌を返します。
「数ならで難波のこともかひなきになどみをつくし思ひそめけむ」
(あなたにとっては取るに足らないわたくしなのに、住吉大社ですれ違ってしまいました、
どうして身をつくして、あなたを思いそめてしまったのでしょう)
現代の言葉に変換するのは言葉に意味が重なったりするので難しいのですが、
だいたいこのような感じではないかと思います。
平安時代の高貴な女性たちがこの源氏物語に一喜一憂した様子が目に浮かびます。
「京都・宇治 式部郷」のページに筆者好みの解説があったので引用させて頂きます。
■鑑賞
二月、帝(みかど)は譲位して、朱雀院(すざくいん)と申しあげ、おんとし十一歳の冷泉帝(れいぜいてい)(実は源氏の子)が即位なさいます。御代(みよ)改まり、宮中に返り咲いた源氏の殿は内大臣(うちのおとど)へと昇進され、源氏一門はこのうえなく華やぎました。 三月には、明石の君に姫君がお生まれになります。このことを知った紫の上は、心おだやかではありません。源氏の殿は自分には三人の子が生まれ、それぞれが、帝、后、太政大臣(だじょうだいじん)になるという予言を思い出されます。その秋、お願果たし(お礼参り)に住吉詣でにお出かけになります。偶然、舟を仕立ててお参りに来ていた明石の君は、きらびやかな源氏一行を、遠くから眺めるばかりでした。「君はゆめにも知りたまわず・・」明石の君は、逢うことのかなわぬ身分の差を思い、そっと涙するのでした。
「京都・宇治 式部郷」
いつまで経っても色あせない人の気持ちの微妙と揺らぎを表現する紫式部は天才です。
何といっても源氏物語は平安時代、1000年も前に紫式部が書いた物語です。
その物語が、この屏風絵の部分だけを見るだけでも1,000年も前に生まれた
日本が世界に誇る文学作品と評価される理由がわかります。
澪標(みおつくし)とは舟のために水路に目印として立ててある杭の事です。
「源氏物語関屋澪標図屏風」(げんじものがたりせきやみおつくしずびょうぶ)のうち澪標図
「源氏物語関屋澪標図屏風」(げんじものがたりせきやみおつくしずびょうぶ)のうち
澪標図の説明があります。
国宝
「源氏物語関屋澪標図屏風」(げんじものがたりせきやみおつくしずびょうぶ)のうち澪標図
俵屋宗達 出生年不詳 作画期は慶長~寛永期(1596~1644)
寛永8年(1631)
かつての住吉大社は、眼前に青い海と白い砂浜が広がり、社前まで入り江が伸びた風光明媚な
場所でした。古来、航海の守神として崇敬され、遣唐使は住吉の地から船出し、平安貴族は
和歌の神様としても信仰しました。
「源氏物語」第十四帖「澪標」(みおつくし)を題材にした本作には、中央に住吉大社を参詣する光源氏の牛車と華々しい一行、右に明石君(あかしのきみ)が乗る船、左に住吉大社の象徴である反橋(通称:太鼓橋)と鳥居が描かれます。物語では源氏一行に遭遇した明石の君は、身分の違いを思い知り、参詣せずに浜を去りました。
作者の俵屋宗達は「風神雷神図」を描いた京都の絵師。本作では、牛車に乗る光源氏も船中の
明石の君も描かずに男女のすれ違いを表現しています。金箔、白浜、緑の松など、大胆な画面構成、色彩の対比が観る者を魅了する作品です。
本品は静嘉堂文庫美術館の監修を受け、陶板で正諾した原寸大複製です。
製作:大塚オーミ陶業株式会社
国宝の澪標図屏風は、1896年醍醐寺から宮崎弥太郎の寄進の返礼として静嘉堂文庫に収められた。
俵屋宗達(生没年未詳)は、慶長~寛永期(1596~1644)の京都で活躍した絵師で、尾形光琳、酒井抱一へと続く琳派の祖として知られる。宗達は京都の富裕な上層町衆や公家に支持され、当時の古典復興の気運の中で、優雅な王朝時代の美意識を見事によみがえらせていった。『源氏物語』第十四帖「澪標」と第十六帖「関屋」を題材とした本作は、宗達の作品中、国宝に指定される3点のうちの1つ。直線と曲線を見事に使いわけた大胆な画面構成、緑と白を主調とした巧みな色づかい、古絵巻の図様からの引用など、宗達画の魅力を存分に伝える傑作である。
寛永8年(1631)に京都の名刹・醍醐寺に納められたと考えられ、明治29年(1896)頃、岩﨑彌之助による寄進の返礼として、同寺より岩﨑家に贈られたものである。
静嘉堂文庫のHPにはそのような説明があります。
静嘉堂文庫美術館は東京都千代田区にある美術館です。