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写真:東京上野公園の西郷隆盛像と皇居の楠木正成の騎馬像、そして靖国神社の大村益次郎の銅像を東京の三大銅像と呼びます。

上野公園には西郷隆盛像があります。

皇居には楠木正成(くすのきまさしげ)の騎馬像。

そして靖国神社には大村益次郎の銅像があります。

これら3体の銅像を、東京の三大銅像と呼びます。

西郷像は本人に似ていないなどの話題を聞くことがあります。

楠木正成も美しすぎると思うので、イメージを先行させて制作しているわけです。

ダイナミックな東京の三大銅像の写真をご覧ください。

二番目に作られた東京の三大銅像上野公園の西郷隆盛像

上野公園の西郷隆盛像は着流し姿です。

この出で立ちは犬の散歩姿ではなくて、うさぎ狩りに行く姿を銅像にしたようです。

たくさんのうさぎ罠を帯に挟んでいます。

明治31(1898)年の完成です。

愛犬の「ケン」を連れているのは、うさぎ猟に使うためです。

ケンという名前の薩摩犬です。

愛犬のケンは西郷さんとは明らかに塑像の表現方法が異なっています。

上野公園の西郷さんの銅像が本人に似ていないという話を読んだことがあります。

思い出したようにそう言ったことが話題になるときがあります。

しかし、それは表現の手段として全体的にデフォルメされているからなのでしょう。

本人の写真がなかったので知人や血縁者の方々から印象を伺いながら制作されました。

西郷隆盛像は、高村光雲、後藤貞行、岡崎雪声という彫刻家が制作に携わっています。

薩摩犬のケンは、薩摩犬を実際に見ながら後藤貞行が制作したのでリアルです。

西郷隆盛は江戸城を無血開城させた立役者です。

西郷隆盛との幕府側の交渉役だった勝海舟の氷川清話に西郷隆盛の人物評があります。

氷川清話はその時代の人物の姿や性格をよく語っています。

「いろいろむつかしい議論もありましょうが、私が一身にかけてお引き受けします」

西郷のこの一言で、江戸百万の生霊(人間)も、その生命と財産とを保つことができ、また徳川氏もその滅亡を免れたのだ。

勝海舟は氷川清話にそう残しています。

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三番目に作られた東京の三大銅像 皇居の楠木正成の騎馬象

楠木正成(くすのきまさしげ)騎馬像も上野の西郷隆盛像と同じ制作者です。

高村光雲、後藤貞行が制作に携わっています。

像それぞれの表現の違い、表現力のバリエーションに凄まじい才能を感じます。

楠木正成像は1891年に東京美術学校(現・東京藝術大学)が製作依頼を受けました。

明治33年(1900年)完成。

別子銅山(愛媛県新居浜市)の銅を使い、頭部を高村光雲、身体・甲冑部を山田鬼斎と石川光明、馬を後藤貞行が分担して担当しています。

(高村光雲の長男は智恵子抄で有名な彫刻家で詩人の高村光太郎です。)

楠木正成像は住友グループ広報委員会のサイトに詳しい説明があります。

最初に作られた東京の三大銅像、靖国神社の大村益次郎銅像

塑像 大熊氏廣 明治26年竣工

東京の三大銅像の中でいちばん最初に作られた銅像です。

大村益次郎は双眼鏡を左手に持っています。

双眼鏡越しに戦況を確かめた後、肉眼でも確かめている瞬間を銅像にしたそうです。

明治元年(1868)新政府軍を指揮する姿です。

手に持っている双眼鏡は LEMAIRE FABI 5x54(フランス製)です。

そんなことが社団法人望遠鏡工業会のHPにあります。

双眼鏡は当時は新兵器といっても良いくらいの情報収集機器のはずです。

相当高価であったことは間違いありません。

司馬遼太郎の「坂の上の雲」にも双眼鏡に関する逸話が多く出てきます。

その中で塚本克熊中尉が同じこれと双眼鏡を購入した逸話があります。

塚本中尉の当時の購入価格は350円でありその頃の中尉の給料の一年分でした。

日本海海戦は明治38年(1905)です。

しかし大村益次郎の銅像は明治元年(1868)の上野戦争での姿です。

坂の上の雲に出てくる塚本中尉の350円のツァイスの双眼鏡は37年後の価格です。

そのように考えると、大村が持つこの双眼鏡の価値はものすごかったでしょう。

手に入れようもないし値段の付けようもなかったはずです。

きっと外国から特別に貰った双眼鏡なのでしょう。

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