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在原業平の歌碑がある鎌倉街道の沓掛にある鹿嶋神社@豊明市

鹿島神社、尾張名所図会
尾張名所図会 二村山 十三塚 鎌倉古道 子安清水

愛知県豊明市沓掛町宿にある鹿嶋神社は平安時代からある神社です。

現在も同じ場所(豊明市沓掛町宿(しゅく))にあります。

その鹿嶋神社は、尾張名所図会(1840年頃)の二村山、十三塚、鎌倉古道、子安清水が名所として紹介されていますが

描かれているその風景の中に鹿嶋社が見つけられます。

また、地名の宿村の表記も見られます。

延喜式神名帳に載る神社であるとされているようなので、

そのことを調べてみると神名帳考証によると川嶋神社が山田郡に見られます。

尾張国内神名帳のなかにも当然ですがあります。

その中の山田郡二十四座の16番目に河嶋天神としてその名があります。

天神とありますが、多くの神社が天神と表記されていますが

それはアマツガミの意味なのでしょうか。

鹿嶋神社の鳥居をくぐると、いきなり在原業平の歌碑があります。

鹿嶋神社の鳥居をくぐると、いきなり在原業平の歌碑があり次のような歌が刻まれています。

あい見ては心ひとつをかはしまの

       水の流れて絶えじとぞ思ふ

                 業平

そしてその横には、豊明市教育委員会の説明があります。

現在の「宿」(しゅく)の地には両村駅(ふたむらえき)が

置かれていた。 在原業平が東下りの折、宿屋の軒端に

わら沓の掛けてある風情をおもしろく思い、「沓掛」と名づけて以来、

地名として今日まで残されている。

業平はここの女を愛し、離別に臨んで一首を詠じたのが、

この歌といわれ、伊勢物語に載っている。

この説明を読むと、在原業平は光源氏のモデルのひとりと云われるだけあって

女性に関してはなかなか盛んだったようです。

業平の東下りはちょうど826年37歳ころのことです。

鹿嶋神社の名前は元々は川嶋天神(神社)だった。

鹿嶋神社

鹿嶋神社の名前は元々は川嶋という神社名だったようです。

延喜式神名帳の記録と延喜神名帳考証、そして在原業平の歌に詠まれているので

歌の碑を見て感じたとおり、元々は「川嶋神社」という名前でした。

鹿嶋社由緒

この写真の由緒書を読むと神社の歴史にもそう書いてありました。

その後時代が下って、いつの時代かに鹿島神宮から武甕槌大神(たけみかづちのおおかみ)の分霊を頂き

それにあわせて社名も川嶋神社から鹿嶋神社に変えたのだろうと想像できます。

それに神社名の発音もよく似ているので、違和感がありません。

現在沓掛で有名なのは、沓掛城跡と寿がきや食品の本社です。

在原業平が名づけた沓掛には今川義元公が桶狭間の戦いの前日に入った沓掛城址があります。

そして寿がきや食品の本社です。

  

 

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