天然記念物小堤西池@刈谷市のかきつばたが、見頃をむかえています。2023/050/9。
かきつばたと言えば、私にとっては平安貴族の在原業平です。
もしかしたら、あなたもそうかもわかりませんね。
在原業平は825年生まれの平安時代の貴族です。
その業平が東下りの折にここから少し向こうの八橋という場所で有名な和歌を詠んだことは高校生のときに習ったのでよく覚えています。
伊勢物語にあります。
専門家でもないのにそのようなことを覚えているわけは、なかなかやるなあ!うまいこと和歌を作るひとだなあと思ったからです。
唐ころも 着つつ慣れにし つましあれば はるばる来ぬる 旅をしぞ思ふ
唐ころも 着つつ慣れにし つましあれば はるばる来ぬる 旅をしぞ思ふ
かきつばたの文字をひとつずつ各段の頭に読み込んで東下りの旅を詠ったのですが、かきつばたが美しいとか見事だとかと詠んだわけではありません。
かきつばたいいな!ときっと詠むにちがいないと、想定して待っている周囲の期待を見事に外しているセンスはかっこいいです。
そしてこの景色をひとの目にも映させるのです。
在原業平は何という洒落者でしょうか!。
在原業平が和歌を詠んだ場所はここ小堤西池をすぎてもう少し東に行った八橋です。
在原業平が和歌を詠んだ場所は、ここ小堤西池をすぎてもう少し東に行った八橋です。(正確には南東)
そこに行くまでの中間地点には、入場者数が東京ディズニーランド・ディズニシー、USJに次ぐ日本第三位と言われるテーマパーク、刈谷ハイウェイオアシスがあります。
もちろん業平の時代、平安時代にはありませんが、業平の見た三河の景色が刈谷ハイウェイオアシスの観覧車から一望できます。
そのかきつばたのある景色を業平一行の目線でかきつばたを見せてくれる貴重な場所が小堤西池です。
小堤西池のかきつばたが天然記念物になっている理由。
小堤西池のかきつばたが天然記念物になっているのは、在原業平が見た三河の景色をそのまま今に伝えている場所だからだです。
それを守ろうと行っています。
家康が整備するまでの昔の東海道は、海の近くではなかったようです。
街道はすぐ近くの藤田医科大学横の二村山を通っていました。
西から来る旅人は二村山の峠で尾張国に別れを告げるとすぐに三河国に入ります。
そこから三河国を見晴らしながら、かきつばたの咲いている風景を目にしたのだろうと想像しています。
その当時もきっとこんな感じで咲いていたのでしょうね。
この日は刈谷市長さんも視察にお見えでした。
小堤西池に詰めている関係の皆様をねぎらっていらっしゃいました。
白い花が咲いている木の名前シャリンバイは地元のボランティアの方に教えてもらいました。
いろいろお話しくださってありがとうございました。
小堤西池のカキツバタを守る会 https://www.city.kariya.lg.jp/kankobunka/rekishibunka/katsudodantai/1006431.html