愛知県西尾市には徳川家康を育てた今川義元(1519-1560)の祖先の地があります。
そこには今川氏発祥の地の石碑があります。
駿府の今川氏も先祖は三河出身の家柄だったのです。
今川という領地の名前を名乗り始めた今川国氏(1243-1282)は、それまでは足利(吉良)を名乗っていました。
三河守護職、吉良荘等の地頭職だった鎌倉幕府御家人、足利宗家3代当主の足利義氏(1189-1255)の後継者は長男、長氏(1211-1290)でしたが、次男の足利泰氏(1216-1270)が継ぐことになりました。
長男なのに、後を継げなかった気の毒な長氏のために与えられた荘園がここ吉良荘です。
室町幕府の将軍、足利尊氏(1305-1358)は足利義氏の子孫です。
今川氏発祥の地
吉良・今川氏の祖 足利(吉良)長氏は足利本家を継げ
なかった代わりに吉良荘を譲り受けました。吉良荘内の
今川の地はやがて長氏の次男国氏に譲られ、この地名から
今川を名乗ることになります。市指定史跡今川氏発祥の
地には「今川氏発跡地」の碑の奥に南北朝時代に九州探題
として活躍した今川了俊(今川貞世)の供養塔があります。
今川
承久の乱後、足利義氏が三河の守護に任ぜられた。
義氏の嫡子長氏は、義氏が足利へ帰った跡式を継ぎ、
吉良荘にちなんで吉良氏を名乗った。吉良家は2代満氏
へと伝えられた。
今川荘は長氏が少年時代に義氏から装束料として贈られた地で、
長氏は次子国氏に伝えた。国氏は荘名の今川を名字にし、
今川氏の祖となった。
今川の地名は荘名の名残と伝えられる。
昭和59年1月
西尾市教育委員会
装束料の名目で荘園領地を貰えたんですね。
女性だと化粧料の名目になると思います。
何故かオシャレ感を感じます。
墓誌
今川貞世(1326-1420)は今川氏の祖、国氏の孫にあたる範国の二男で、
南北朝時代の人である。
遠江国守護職、九州探題をつとめた。
武将として功のあったほか、冷泉家歌風を伝える歌人として
名をなし、また文人としても知られた。のち入道し了俊、徳翁
とも称し90歳を生きた。
古老之傳先代之建 名存□亡情矣哉故 再 刻石以視後人云
今川貞世入道了俊君墓
延享2年(1745)巳丑夏四月二十日参州幡豆郡
吉良荘今川村 西尾候家臣 □□庵建
内藤永吉誌
1745年当時の西尾藩主は土井利信候
11代目の今川義元が駿府が拠点なのは、今川了俊(貞世)(1326-1420)が駿河の守護だったからなのでしょう。
この碑文を読んでいると、吉良氏と今川は氏は同族なのですが吉良荘の中の今川荘だから
足利、吉良、今川の順番になることがわかります。
そして吉良荘はなんと言っても足利宗家の長男が父親から受け継いだ荘園です。
元禄赤穂事件で亡くなった子孫の吉良上野介義央(きらこうずけのすけよしひさ)(1641-1703)が、徳川幕府のなかで高家肝煎として家格が高かった理由がわかります。
時代は大きく違いますが、吉良上野介の領地にあった岡山陣屋は、ここから南東2.3㎞のところにあります。
Google地図では今川城跡の表記もあります。
愛知県西尾市今川町土井堀で検索できます。