武田軍の三河侵入を防ぐための徳川方の拠点、長篠城の籠城戦では岡崎にいる家康に救援を求めるために命がけで城を脱出した鳥居強右衛門(とりいすねえもん)らが見事に主命を果たします。
しかし、鳥居強右衛門が援軍が長篠に来ることを見届けて戻ってきたところを武田方に捕えられ磔(はりつけ)にされて命を落としてしまいます。
今に伝わる有名な出来です。
長篠城は、三河国設楽郡長篠(現在の愛知県新城市長篠)にあった城です。
長篠城は、三河国設楽郡長篠(現在の愛知県新城市長篠)にあった城です。
戦国時代の歴史の転換点となった長篠・設楽原の戦いは、1575年(天正3年)5月19日から5月21日にかけて、三河国長篠城(現在の愛知県新城市)をめぐって、武田勝頼軍と徳川家康・織田信長連合軍が戦いました。
武田軍の勇猛な騎馬隊と徳川・織田軍の鉄砲隊との戦いでした。
そんな設楽原での戦いのそもそもの原因は、武田軍の長篠城攻めにあります。
その長篠城をめぐり、寄せ手である15,000人の武田軍に対して、籠城して城を守る500人との間で戦いがすでに始まっていました。
そのときに鳥居強右衛門らの現代にまで語り継がれているエピソードが生まれます。
現在の長篠城は、そんな戦いがあったとは思えないほど静かで国の史跡にも指定され、その城跡が整備されています。
鳥居強右衛門と鈴木金七郎が厳重に包囲された長篠城から脱出して岡崎の家康に救援を求めて走ります。
城は豊川と宇連川の合流点に位置し、城の南側は断崖、北側は堀と堀の土を掻上げて作った土居で守られていました。
武田軍との籠城戦では、鳥居強右衛門勝商(とりいすねえもんかつあき)らが武田軍の包囲網をかいくぐって、城の断崖の下を流れる豊川に潜って脱出し家康と信長のいる岡崎城に救援を求めて走ったりました。
そして、強右衛門は長篠城内に戻って援軍が2、3日中にやってくることを直接伝えようとしたところを武田軍に捕まって命を落としてしまうという出来事がありました。
それでも援軍が来ることを城内に伝えることができたことで、長篠城内の500人は勇気づけられ援軍が来るまで武田軍の攻撃を耐え凌ぎました。
脱出したのは鳥居強右衛門勝商と鈴木金七郎重政です。
繰り返しますが、2人は城の南側の谷を流れる豊川まで崖を下りて川に入ります。
ちょうど写真の右上の強右衛門の磔(はりつけ)の説明書きの下辺りになります。
谷底を覗くと驚くような断崖です。
川の流れの中を敵が仕掛けた鳴子を除けながら水中を泳ぎ4㎞下流の連吾川(れんごがわ)が豊川に合流するあたり(数日後に完成する馬防柵南端から800mほど南)に上陸しました。
そこから1.8㎞北にある川上村の鈴木金七郎の実家にたどり着き、とりあえず2人は腹ごしらえを済ませます。
たぶん、鈴木家の守り神の裏の白山社に参り成功を祈ったにちがいありません。
そして、子供のころによく遊んだ北側の雁峯山(がんぼうやま)で脱出成功の狼煙(のろし)を上げた後、岡崎城までの50㎞近い山中を走りに走って家康に目通りしたのです。
鳥居強右衛門と鈴木金七郎は家康と信長に長篠城籠城戦の様子を伝え、城主の奥平貞昌からの書状を手渡すという大役を果たしました。
2人は岡崎で別れ、強右衛門は長篠に引き返し、援軍来たるの合図の狼煙(のろし)を再び雁峯山から上げて長篠城に伝えたのでした。
2人は岡崎で別れ、強右衛門は長篠に引き返して援軍来たるの狼煙(のろし)を再び雁峯山から上げましたが、そこから長篠城に戻る途中で武田軍に捕まり磔(はりつけ)にされて命を落としてしまいました。
一方の鈴木金七郎はすぐには戻らず岡崎に残り、家康軍と信長軍と行動を共にし長篠まで戻ってきます。
金七郎は、長篠・設楽原の戦いのあと、作手村田代(つくでむらたしろ)で帰農してしまったことが伝わっています。
彼は、命がけで岡崎城まで行動を共にした強右衛門の死や、戦で多くの人の命が奪われるのを目の当たりにして、心に大きな傷を負ってしまったのではないでしょうか。
そう思えてなりません。
長篠・設楽原の戦いは、鉄砲が戦争の主力兵器として使用された日本で最初の戦いの舞台となりました。
長篠・設楽原の戦いは、鉄砲が戦いの主力兵器として使用された日本で最初の戦いの舞台となりました。
この戦いで、徳川家康・織田信長連合軍は武田勝頼軍を破り、そのことが武田家の衰退と徳川家の台頭につながります。
このとき、長篠城籠城軍の城主、奥平貞昌は21歳、鳥居強右衛門は36歳です、鈴木金七郎の年齢は不明ですが、妻と一男一女があったようです。
城主の奥平貞昌以下籠城軍の平均年齢は25.3歳という若さでした。
武田勝頼に命を奪われてしまった鳥居強右衛門は名を残し、その子孫は代々強右衛門を名乗っています。
13代目の鳥居強右衛門商次(とりいすねえもんあきつぐ)は忍藩10万石(埼玉県行田市)の家老として明治維新を迎えています。