『日本書紀』には「石上振神宮」との記載も見えますが、そもそも『日本書紀』に「神宮」と記されているのは出雲と石上と伊勢だけなのです。
と石上神宮の森正光 宮司が説明されています。
石上神宮(いそのかみじんぐう)の神様は
布都御魂大神(ふつのみたまのおおかみ)
布留御魂大神(ふるのみたまのおおかみ)
布都斯魂大神(ふつしみたまのおおかみ)
です。
続いて、次のように説明されています。
古事記の神武東征のところに、熊野で難に遭われた天皇を救うために建御雷神(たけみかづちのかみ)が剣を降された話があります。
そこに「この刀は石上神宮に坐す」と、初めて固有の神社名が出てくるのです。
この剣を当宮では「布都御魂大神(ふつのみたまのおおかみ)」としてお祀りしております。
これに、物部氏の祖である邇芸速日命(にぎはやひのみこと)が天下るときに授けられた「天璽十種瑞宝(あまつしるしとくさのみづのたから)」の霊威を「布留御魂大神(ふるのみたまのおおかみ)」、そして須佐之男命(すさのおのみこと)が八俣大蛇(やまたのおろち)を退治した霊剣「天十握剣(あめのとつかのつるぎ)」の霊威を「布都斯魂大神(ふつしみたまのおおかみ)」と称え、合わせてご祭神としています。
祈りの廻廊「日本最古の神宮とご神宝」
神話に登場し現代にまでここに存在し続ける「剣」の実物とその剣に宿る霊威を祭神としています。
また国宝として歴史的に貴重な七支刀が所蔵されています。
神話の時代から今日(こんにち)まで長い時間を越えて続く神宮でありながらも、神話の時代そのものが今もここに存在している。
そういう厳かな感動を書に表わしています。
須佐之男命(すさのうのみこと)が八俣大蛇(やまたのおろち)を退治した天十握剣(あめのとつかのつるぎ)がここに在ると伝える日本書記、その実物が今も石上神宮に在る(鎮まっている)という事実を思うと私も感動を覚えます。
須佐之男命が八俣大蛇の尻尾から取り出した剣が、有名な天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)です。
その剣は草薙剣(くさなぎのつるぎ)とも呼ばれます。
その三種の神器のひとつである剣を祀っているのが名古屋の熱田神宮です。
石上神宮の参道
石上神宮のHPには御祭神がわかりやすく説明されています。抜粋してあらためて書いておきます。
石上神宮のHPには、御祭神がわかりやすく説明されているので再びふれておきます。
・布都御魂大神(ふつのみたまのおおかみ)
当神宮の主祭神で、国土平定に偉功をたてられた神剣「韴霊(ふつのみたま)」に宿られる御霊威を称えて布都御魂大神(ふつのみたまのおおかみ)と申し上げます。
韴霊とは、古事記(712)・日本書紀(720)に完成)に見える国譲りの神話に登場される武甕雷神(たけみかづちのかみ)がお持ちになられていた剣です。・・・・
・布留御魂大神(ふるのみたまのおおかみ)
天璽十種瑞宝(あまつしるしとくさのみづのたから)に宿られる御霊威を称えて布留御魂大神と申し上げます。
天璽十種瑞宝とは、饒速日命(にぎはやひのみこと)が天津神(あまつかみ)から授けられた十種の神宝で、それらには〝亡くなられた人をも蘇らす〟というお力が秘められておりました。・・・
・布都斯魂大神(ふつしみたまのおおかみ)
記紀神話に見える、素戔嗚尊(すさのおのみこと)が出雲国(島根県東部)で八岐大蛇(やまたのおろち)を退治されるのに用いられた天十握剣(あめのとつかのつるぎ)に宿られる御霊威を称えて布都斯魂大神と申し上げます。
古来禁足地であったところに、日本書紀が伝えたとおり、その剣が石上布留高庭(いそのかみふるのたかにわ)埋められていました。
石上布留高庭(いそのかみふるのたかにわ)
須佐之男命が八俣大蛇を退治した天十握剣は、「名づけて、蛇の麁正(おろちのあらまさ)という。
これは今、石上宮(いそのかみのみや)に在(ま)す」(『日本書紀』)、また「今、石上神宮に在り」(『古語拾遺』)と記されているように、石上神宮で布都斯魂大神と称えてお祀りしています。また韴霊剣と天璽十種瑞宝は宮中でお祀りされていましたが、崇神天皇7年に物部氏の祖、伊香色雄命(いかがしこおのみこと)により石上布留高庭(いそのかみふるのたかにわ)、現在の石上神宮に遷し祀られました。
石上神宮にはもともとは本殿がなく、この布留高庭(拝殿後方の禁足地)に主祭神が埋斎されていました。
明治時代に禁足地を発掘、御神体の出御を仰ぐこととなり、本殿が造営されました。
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延喜式内社で、草薙剣(くさなぎのつるぎ)の荒魂(あらみたま)である 出雲建雄神(いずもたけおのかみ)をお祀りしています。
摂社 出雲健雄神社
式内社
御祭神 出雲建雄神(いずもたけののかみ)
由緒
出雲建雄の神は草薙の神剣の御霊坐す
今を去ること1300余年前天武天皇朱鳥元年
布留川上日の谷に瑞雲立ち上る中 神剣光を放ちて現れ
「今この地に天降り緒の氏人を守らん」と宣(のたま)わり給い 即(ただちに)ちに鎮座し給う
江戸時代中期に成立した縁起には、天武天皇(てんむてんのう)の御代に御鎮座になった由がみえます。
それによると、 布留邑智(ふるのおち)という神主が、 ある夜、 布留川の上に八重雲が立ちわき、 その雲の中で神剣が光り輝いている、 という夢を見ました。
明朝その地に行ってみると、 8つの霊石があって、 神が 「吾は尾張氏の女が祭る神である。
今この地に天降(あまくだ)って、皇孫を保(やすん)じ諸民を守ろう」 と託宣されたので、神宮の前の岡の上に社殿を建ててお祀りしたということです。
江戸時代には、 出雲建雄神は当神宮の御祭神 布都斯魂大神(ふつしみたまのおおかみ)の御子神と考えられ、そのため 「若宮(わかみや)」と呼ばれていました。
例祭は1月15日に月次祭に引き続いて斎行しています。
石上神宮HP https://www.isonokami.jp/shinwa/shinwa3.html
「山の辺短歌会」主宰の高蘭子(こうらんこ)さんの歌碑
みじかかる ひと世と思へ布留宮の 神杉のほの そらに遊べる 蘭子
この歌に、しなやな人生の歩み方を教えられます。
ストン!と腑に落ちる歌です。
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