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明治大正昭和を生きた名人・王将坂田三吉の王将碑 @大阪市通天閣下

明治大正昭和を生きた将棋名人・坂田三吉の王将碑を通天閣の下に見つけた。 

[碑文]

王将坂田三吉は明治3年6月堺市に生まれる。

幼少より将棋一筋に見きわめめぐまれた天分と努力は世の人をして鬼才といわしむ。

性温厚にして妻小春とともに相扶け貧困とすべての逆境を克服する。

昭和21年7月(77才)大阪市東住吉区に没す。

同30年10月生前の偉業をたたえられて日本将棋連盟より棋道最高の名人位王将位を追贈される。

翁によって大阪人の土根性の偉大さをしらしめたる功績は私たちの追慕しやまざるところここ由縁の地通天閣下にこれを顕彰する。

 昭和44年10月吉日

 王将碑建立有志の会

 氏野 寒木 書 

場所は大阪市浪速区恵美須東1丁目18番通天閣下にあります。

地下鉄恵美須町駅下車、通天閣本通り商店街を通天閣に向かって歩いて3分の通天閣の真下にあります。

前日の夜に遠くから通天閣を探しても照明が消えていたので見つけられませんでした。

その理由を確かめようとおもって写真を撮りに来ました。

通天閣は外装の工事中だったので夜に照明が点灯してなかったようです。

しかし。通天閣の下で見つけた、将棋の坂田三吉名人・王将の碑の前で、一瞬ビビッと体が金縛りに遭った気がしたので、書いているところです。

将棋に詳しくない私が坂田三吉名人・王将について知っていたこと。

将棋に詳しくない私が坂田三吉名人・王将について知っていたことは、

①谷川浩司17世名人は坂田三吉名人・王将のひ孫弟子

銀が泣いている!

村田英雄さんの王将 吹けば飛ぶような将棋の駒に♫

短い歌詞の中にとても良く表現されていて、歌唱力が時代の空気感や心意気、当時の生活といった情景を動画のように伝えてくれています。

坂田三吉名人・王将は現役時代には通天閣にほど近い四天王寺の西、谷町筋はさんだ伶人町に住んでいました。

一時吹田市に移りますが、77歳で亡くなる3年ほど前の1943年に東住吉区に

住まいを移しています。(大阪市ホームページ東住吉区)

通天閣の坂田三吉名人の王将碑を見て将棋のことを少したどってみたのですが、理詰めの勝負の世界にあって、感受性豊かな芸術家タイプの棋士だったように感じるのです。

王将碑からは時代を超えてそんなテレパシーが出ていました。

銀が泣いていると表現した彼は将棋の駒は自分の分身でもあったのでしょう。

王将碑の左横に建てられている棋譜を写真に撮ることが恐れ多いように思えて何故か撮れませんでした。

これは想像ですが、大阪者のど根性と人にいわれるのは本意ではなかったのかも・・・。

周りの人からすると、垢抜けてもらっては困るのだろうと想像しますが、本人の心の中はシュッとしていたのではないかと勝手に思っています。

碑の前に立っていたらそんな気がしたのです。

今度は、豊中市の服部霊園にあるお墓にも行ってみよう。

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