ちゃっかり写り込んでいる桃巌寺の大仏様

名古屋市街越しに伊吹山を撮った写真に写り込んだ大仏様がいるのが分かりますか?。

その写真に写り込んだ大仏様は、カメラを意識したのか落ち着き払ってすまし顔をしています。

しかし、みんな早く気がつけよ!、とでも言いたげなオーラを放っています。

そんな大仏様が、わしを探せと言っている気がします。

さて、どこにいらっしゃるのか探せますか?。

写真に写り込んだ大仏さまは、名古屋大仏と呼ばれている

この写真に写り込んだ大仏様は、名古屋大仏とも呼ばれますが、

今までに見たこともないグリーンのボディーペイントをしているので、

大仏界の中ではかなり有名なカブキ者です。

お釈迦様は目が青く顔つきは彫りが深かったと現代に伝わっていますが、

写真に写り込んだこの大仏様は、目が金色に輝き、身体は緑色です。

寺や大仏は”古色蒼然としている方が良い”と考える人もいますが、

とても古い時代の大仏さまでも、できた当時は金色や派手な彩色が施されていたので、

この大仏様も、その姿のままで十分にありがたいと思います。

この大仏様は曹洞宗の泉龍山桃巌寺に鎮座しています。

この大仏様は、曹洞宗の寺で泉龍山桃巌寺(とうがんじ)に鎮座しています。

よくよくみると、写真の真ん中住宅街にあるお寺の森の中に見つけられます。

桃厳寺は、末盛城主の織田信行が、父信秀の菩提を弔うために建てた寺です。

そんな信行の居城、末森城も最初の写真の右に広がる森のように写っています。

織田信行は兄の信長より自分の方が織田家の跡継ぎにふさわしいと考えた。

信長の弟の信行は、兄の信長よりも自分の方が良識があり織田家の跡継ぎに

ふさわしいと考え、家臣からも担がれて兄の信長を亡き者にしようと

たくらんでいましたが、それに気がついた信長の計略により清洲城で

討たれてしまいます。

そんな信行が、兄に反旗を翻した気持ちの表れがこの寺の建立だったわけです。

父信秀の墓をこの寺にも建てたことにその意思が現れています。

そもそも、織田家の菩提寺は名古屋市大須にある萬松寺です。

そもそも、織田家の菩提寺は名古屋市大須にある萬松寺(ばんしょうじ)です。

ここで織田信秀の葬儀が行われ、そこに信長が普段の姿のまま現れるやいなや、

父、信秀の位牌に向かって抹香をつかんで投げつけるという、

常識ではあり得ない、うつけ者の振る舞いを行ったことは有名です。

それを目の当たりにした弟の信行は、織田家の家督を継ぐのは自分以外にないと思い、

父信秀の供養のためにこの桃厳寺を建立したのでした。

この写真の中に、そんな歴史が名古屋大仏と共に写り込んでいました。

 

最寄り駅は、名古屋市営地下鉄東山線本山駅 歩いて5分

 

 

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