尾張名所図会の青木地蔵はおおきな楠が目印です。
尾張名所図会の青木地蔵が安置されていた場所には、
今でも大きなクスノキが田んぼの中に立っています。
そのクスノキはとても目立つので、車でそばを通るとすぐにわかります。
場所は、幹線道路の瀬戸大府東海線(愛知県道57号線)の
十三塚交差点近くに突然現れるスターバックスの北側にあります。
地名となっている十三塚の様子は、尾張名所図会の鎌倉街道沿いに
描かれているので探してみてください。
鎌倉街道ゆかりの楠木と地蔵尊

鎌倉街道ゆかりの楠木と地蔵尊
昔、鎌倉街道が通っていた宿(しゅく)と大久伝の間にある楠であり、根元に仁治二年の銘のある青木地蔵が祀られていたが、大正6年(1917)に沓掛町寺内地蔵堂に移され、現存するのはその代替仏である。
豊明市教育委員会

尾張名所図会の青木地蔵は仁治二年は1241年鎌倉時代のお地蔵様です。
尾張名所図会の左半分、中央に青木地蔵が、その上に宿(しゅく)村が見えます。
十三塚は図絵では田んぼの中にこんもりと描かれています。
尾張名所図会に描かれている塚を数えてみると、13以上ありますが、
昔、十三塚は鎌倉街道の南に13、北側に7つあったそうですが、
どのような歴史があるのか明確なことをわかっていません。
一説では、お伊勢参りの歓楽街だった伊勢古市からここまで逃げてきたお紺女郎の霊の鎮魂塚とも伝わっていますが
確かなことはよくわかっていません。
これは想像ですが、青木地蔵は鎌倉時代以降にそういった人たちの霊を慰めるために置かれたものだったのではないか?
そんな気がしています。
鎌倉街道沿いに安置されていたので、道祖神ではなかったかともいわれています。