合格祈願、これ以上落ちない上野合格大仏。
上野恩賜公園 上野大仏(釈迦如来)は寛永8年(1631)に越後国、村上城主であった堀丹後守直寄が戦乱に倒れた敵味方の冥福を祈るために建立しました。
幾多の難を乗り越えた 上野大仏
この大仏は寛永8年(1631)、越後国村上城主であった堀丹後守直寄公が、こちらの高台に戦乱に倒れた敵味方の冥福を祈るために建立した「釈迦如来」です。
京都・方広寺の大仏に見立てられ、当初は漆喰で作られましたが、明暦・万治の頃(1655~1660年)、木食浄雲(もくじきじょううん)という僧侶により高さ6メートルの銅仏に改められました。
また元禄11年(1698)には輪王寺宮公弁法親王(りんのうじのみやこうべんほっしんのう)により大仏殿が建立され、伽藍が整いました。
しかし大仏は江戸時代以来、地震や火災といった災難に何度も見舞われました。
幕末の上野戦争では辛くも被害を免れましたが、明治6年(1873)に大仏殿が解体され、さらに大正12年(1923)の関東大震災でついにお顔が落ちてしまったのです。
その後、寛永寺で保管された大仏は再建される計画もありましたが、残念ながら復元されることなく、体は第二次世界大戦時に供出されてしまいました。
昭和47年春、再び旧地に迎えられた大仏は、建立当初より大きく姿を変えましたが「これ以上落ちない合格大仏」として広く信仰を集めています。
寛永寺教化部
大仏を 埋めて白し 花の雲 子規
大仏を 埋めて白し 花の雲 子規
この句は、正岡子規(1867-1902)が上野公園の満開の桜の中に在る大仏の姿を詠んだ一句です。
子規の生きた時代には大仏殿は解体されていました。
上野の大仏様はちょうど鎌倉の大仏様と同じような露座の姿です。
春の陽をうけた白い桜の花のなかに埋もれる大仏様が、まるで雲に乗る仏様のように見えたのでしょう。
子規が見たそのときの一瞬を写真で切り取ったような句です。
ずいぶん印象的だったことが伝わります。
合格祈願のできるこれ以上落ちない上野合格大仏のある上野公園は今も桜の名所です。
寛永寺HP https://kaneiji.jp/information7sp.html
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