瀧山寺(たきさんじ)は西暦673から686年頃に開かれた寺で三河でも屈指の古刹であるとその縁起にあります。これまでに寺の盛衰は何度かあるのですが、源頼朝公の従弟の寛伝上人が住職となった時代(1150頃から1200年頃と考えられます)にはその隆盛を極めたそうです。
頼朝公との血のつながりからだとも思われるのですが、寺宝でもあり国指定重要文化財の「聖観音菩薩立像」の胎内には亡くなった頼朝公の髭と歯が納められていると伝えられています。
瀧山寺にある三尊像は頼朝公が亡くなりその法要のために寛伝上人が当時の一流の仏師である運慶に制作を依頼したようです。またそれが可能であったのは、寛伝上人の父が熱田神宮の大宮司であったこと、寛伝上人自身が京都の仁和寺で修行し僧正の次の位である僧都(そうず)の地位であったこと、それに加えて頼朝公から瀧山寺に66郷の采地を与えられていたことなどから、寛伝上人の生まれや育ち、また都での地位に加えて、瀧山寺の経済的な力によるものと考えられます。
このことは瀧山寺の近くにある中学校の校長先生が調査されていて愛知教育振興会のサイトに掲載されています。 寛伝と運慶と仏像についての関連性がよくわかるので興味のある方はご一読をお勧めします。
瀧山寺は他にも仏像や12神将といった文化財を多く所有しており、間近で鑑賞できます。ただ、国の貴重な宝ものばかりなので全国の美術館が企画する展覧会などのために仏様が寺を留守にしているときも多くあるようです。
全部の仏様が寺に揃っているときに手を合わせることができた人は大変に幸運だと思います。寺の仏像などの寺宝は写真撮影が禁止なので、建物の写真ばかりになりましたが、建物は堂々として美しく、源頼朝公への寛伝上人の思いと往事の隆盛を今に伝えています。
また、この寺に来るときに見た朱色の三門はとても大きく立派なものです。左右の仁王はやはり運慶仏師作と伝わっています。
瀧山寺のHPには、文化財となっている寺宝が美しく撮影されてアップされているのでそちらでお楽しみください。
瀧山寺は、岡崎市街の大樹寺の三門前の通りを東に向かってまっすぐに4㎞ほど行ったところにあります。3㎞ほど行ったあたりで県道から外れて左折し青木川に架かる仁王橋を渡るとすぐ右に朱色の仁王門が見えます。そこからは800mほどで瀧山寺に着きます。
寺の駐車場は林の中を登る感じなので心細く感じますが気にしなくても大丈夫です。わずかの距離を走るだけで右の木の間からすぐに駐車場が見えます。料金はもちろん無料です。
瀧山寺山田住職の講演の書き起こしPDFがとても参考になります。 https://www.okazakicci.or.jp/konwakai/21okazakigaku/21-6.pdf
使ったカメラ Nikon D300S レンズ DX 16-80mm F2.8-4.0