家康

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写真:根本中堂の葵紋が輝いています。現在の寛永寺の根本中堂は明治になってその威容をつつましく変えても、屋根には葵紋眩しく輝いています。@台東区

根本中堂の葵紋が輝いています。現在の寛永寺の根本中堂は明治になってこれまでの威容をつつましくしました。それでも今も屋根には葵紋が眩しく輝いています。上野寛永寺は天海大僧正により江戸城の鬼門に建てられたお寺です。現在の上野寛永寺の根本中堂は江...
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浜名湖の北にある龍潭寺は井伊家の菩提寺です。浜松城と並んで浜松屈指の観光スポットです。@浜松市

井伊家の菩提寺龍潭寺は浜名湖の北にあります。小堀遠州の美しい庭が特に有名です。ドラマにもなった女城主直虎が井伊谷城を出て母の元に移り住んだと伝わる松岳院跡もあります。今では浜松城と並んで浜松屈指の観光スポットです。井伊家・宗良親王 菩提寺萬...
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写真:浜松城は戦いに明け暮れた時期の家康の拠点。@浜松市

徳川家康が三河から東に勢力を伸ばすために築いた出世城「浜松城」。家康がそれまでの居城岡崎城から浜松城に移ってきたのは元亀元年(1570年)でした。そして駿府城に移るまでの14年間ここ浜松に在城しています。家康はその間家臣たちと共に成長し実力を積上げ蓄えていきます。
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写真:徳川幕府初期の政(まつりごと)に大きな影響力を持った春日局。彼女の念持仏が大樹寺に安置されています。@岡崎市

春日局の念持仏が徳川家の菩提寺の大樹寺にあります。徳川幕府初期の政(まつりごと)に大きな影響力のあった春日局(かすがのつぼね)。その彼女が毎日手を合わせて拝んでいた念持仏(ねんじぶつ)があります。それが愛知県岡崎市の大樹寺に客仏として安置さ...
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苗木城(苗木藩遠山氏居城)には織田、豊臣、徳川のそれぞれの時代に翻弄されてきた歴史がある。@中津川市

苗木藩は幕末まで続いた藩です。その苗木城は苗木藩遠山氏の居城です。遠山氏は鎌倉時代に木曽川の南北エリアに勢力を持ち、遠山氏の本拠地だった岩村城がある恵那市岩村町からここ中津川市の苗木城、そしてここから車で岩村町を通り越して南西に1時間ほどの...
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秀吉の側室で豊臣秀頼の母、淀殿(茶々)の墓所がある太融寺@大阪市北区

太融寺(たいゆうじ)には淀殿(茶々)(1569-1615)の墓があります。淀殿の墓は明治時代のはじめまで大阪城の近くの城東区鴫野(しぎの)にありました。しかし。明治10年11月、そこに城東練兵場が造成されるにあたり太融寺に移祀されました。(...
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東京の三河稲荷神社は、家康の江戸移封の折にどうしても三河から連れてきたかった由緒ある神社です。@文京区

三河稲荷神社は縁起の良い神社です。東京の丸ノ内線本郷三丁目駅近くにあります。家康が1590年の江戸移封の折に、どうしても三河から連れてきたかった由緒ある神社です。三河一向一揆のときに20歳の家康は豊田市の隣松寺(りんしょうじ)に陣を敷き、目...
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写真:大久保彦左衛門のお墓参りをした。@愛知県岡崎市と東京都港区

大久保彦左衛門の墓大久保一族墓所墓の前の景色大久保彦左衛門のお墓参りをした。大久保彦左衛門忠教(おおくぼひこざえもんただたか)永禄3年-寛永16年(1560-1639)は、江戸時代前期の三河武士です。そんな大久保彦左衛門は、徳川家康、徳川秀...
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伊賀八幡宮の駐車場に鎮座してお詣りに来たときにはいつも出迎えてくれます。来るたびに気になるお稲荷様は教国稲荷社です。@岡崎市伊賀八幡宮境内

鳥居や社の朱が美しく塗り替えられた教国稲荷社伊賀八幡宮の駐車場に鎮座していつも出迎えてくれます。来るたびに気になるお稲荷様は教国稲荷社です。御祭神は倉稲魂神(うかのみたまのかみ)で伏見稲荷大社の御祭神と同じです。倉稲魂神(うかのみたまのかみ...
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長篠・設楽原の戦いはいつだったのか、そもそもどんな戦いだったのかを確かめてみた。

設楽原合戦図 新城市立東郷東小学校卒業生制作 設楽原歴史資料館1.長篠・設楽原(ながしの・したらがはら)の戦いはいつのことだったのか?確かめてみた。テレビや本などのメディアやインターネットの情報で見たり読んだりしたことがあるので知っています...
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1575年の長篠・設楽原の合戦で戦った武田軍と徳川・織田連合軍の将士の平均年齢は34.8歳という若さです。

1575年の長篠・設楽原の合戦で戦った武田軍と徳川・織田連合軍の将士の平均年齢は34.8歳という若さです。長篠城址史跡保存館に長篠・設楽原で戦った将士の年齢一覧があったので興味深く見てきました。下の表は、将士の年齢をエクセルにまとめたもので...
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写真:武田軍の三河侵入を防ぐための徳川方の拠点、長篠城の籠城戦では救援を家康に伝えるために命がけで城を脱出した鳥居強右衛門が主命を果たし城に戻る途中に武田方に捕えられて磔にされてしまいます。

武田軍を防ぐための徳川方の拠点、長篠城の籠城戦では救援を岡崎にいる家康に求めるために命がけで城を脱出した鳥居強右衛門が援軍の来ることを見届けて戻ってきたところを武田方に捕えられて磔にされてしまいます
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写真:徳川家康も織田信長も豊臣秀吉も浅井長政もお市さまも茶々さま(淀殿)も見た伊吹山。

徳川家康も織田信長も豊臣秀吉も浅井長政もお市さまも、どのような思いをいだきながらこの伊吹山を見ていたのでしょうか。
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写真:鳳来寺の紅葉2022年11月@奥三河 新城市

鳳来寺の2022年の紅葉はすでに冬枯れが進んでいる木も多く見かけます。その一方で真っ赤に染まっている木も多くあります。
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写真:大樹寺の宝塔入り口の馬頭観音像の向こうの羅漢たちは、気まま間放題。ひと目なんか気にしていません。

大樹寺の羅漢は気まま放題。自由気ままな人の姿の見本市です。うつ伏せたまま、それも両足を揃えて足の裏を見せながらこっちを見ている羅漢像。面倒がらずに体を起こしなさい!。大樹寺の宝塔入り口の馬頭観音が教えてくれた、あっちこっちにいる羅漢像はあま...
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写真:家康がひとり立ちする最初のピンチを救った大樹寺の羅漢像の中には怪しげなポーズの奴もいる。きっと人に見られたら困るようなことをこっそりとやっているに違いないのだ。

家康がひとり立ちする最初のピンチを救った大樹寺の羅漢像の中には怪しげなポーズをしている奴もいます。きっと人に見られたら困るようなことをこっそりとやっているに違いないのです。何か隠し事のありそうなビクビクした目でこっちを見ています。羅=羅漢さ...
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写真:家康がひとり立ちする最初のピンチを救った大樹寺。山門横の羅漢像は体全体で喜怒哀楽を表現しています。

家康がひとり立ちする最初のピンチを救った大樹寺にある羅漢像は山門の近くの目立たぬ場所にあって喜怒哀楽を奔放に体全体で表現しています。羅漢像と対話しながらひとつひとつ見て回ると、こんがらがってもつれてしまった心が解(ほど)けます。羅漢像には表...
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写真:本證寺は鎌倉時代後期の13世紀末ころに開かれたと境内の説明にあります。そのお寺が歴史的に有名になったのは三河の一向一揆の拠点となってからです。

本證寺山門と鼓楼と内堀愛知県安城市野寺町にある本證寺は鎌倉時代後期の13世紀末ころに開かれたと境内の説明にあります。そのお寺が歴史的に有名になったのは三河の一向一揆の拠点となったことによります。だだ、それ以降江戸時代から明治まで将軍拝謁や尾...
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