木村重成を包んだススキです。
大坂夏の陣に散った豊臣秀頼の重臣木村長門守重成(きむらながとのかみしげなり)ゆかりの血染めのすすきが、彦根市の井伊神社本殿脇に植えられています。
討ちとった木村重成を包んだススキです。
説明板にはこう書いてあります。
慶長2年(1615)大坂夏の陣に、徳川軍先鋒を命ぜられた井伊直孝は、二代藩主直勝に代わって5月6日払暁大阪城を遙かに望む玉串川(現大和川)の若江堤に陣を進めた。
早朝からの合戦に多くの兵を失った豊臣方の名将、木村長門守重成(槍の名手)は、若干24歳の若武者であったが、大阪城もこれまでと、直孝の本陣に最後の突撃を敢行した。
この時、彦根藩士安藤長三郎は、重成の首級を挙げたが、香を焚きしめた兜をつけた姿に、敵将ながらその死を悼み、若江堤に茂るすすきに包んで持ち帰り、安藤家の菩提寺宗安寺に手厚く葬り、すすきは佐和山神社(井伊家祖霊社)の社前に「重成血染めのススキ」として植えられた。
その後同神社は井伊神社に合祀されたので、縁(ゆかり)の宗安寺に移植されたが、こんど株分けを受けて再び井伊神社境内に昔日の面影を偲ぶこととなった。
平成十年三月 たちばな会 記
宗安寺は井伊直政が高崎から彦根に移封されたときに一緒に移ってきた寺です。
本尊は淀殿の念持仏、阿弥陀如来と言われています。
その本尊は大坂夏の陣で井伊家臣が大坂城の仏間から運び出しました。
難を逃れた淀殿の念持仏は宗安寺に安置されました。