静けさを取り戻したお正月明けの猿投神社@豊田市

正月明けの猿投神社
正月明けの猿投神社

正月明けの猿投神社は静けさを取り戻しています。

この前まで初詣客でごった返していたのにそれが嘘のようです。

西三河を見晴らす猿投神社(さなげじんじゃ)の御祭神は大碓命(おおうすのみこと)です。

それから彼のお父さんの景行天皇、そしてお祖父さんの垂仁天皇です。

大碓命は日本武尊(小碓命)の双子のお兄さんです。

双子の兄弟でも、その性格は違っていたようです。

大碓の命は開拓などを行い土地を広げていくなどの才能があったようです。

お正月にはの初詣の人たちでとても混雑します。

猿投神社の初詣は西三河の人たちで駐車場も参道もいっぱいになって混雑します。

猿投神社まで徒歩で初詣に来る人はほとんどいません。

ほとんどの人はクルマで参拝に訪れます。

それでも、参道の鳥居前では焚き火が焚かれます

参道の木が高いので日の光が届きません。

どうしようもなく冷え込んでいる参道に焚き火のもてなしがあります。

火の温もりがもてなしてくれます。

焚き火に集まったみんなは、冷たくなった手を高く燃え上がる火にかざしています。

そうしているうちに親近感が湧いてきて、自然に見知らぬ人と言葉を交わしています。

なぜかホッとしながら暖を取ります。

今日来てみたら、もう正月が開けたので猿投神社には焚き火がありません。

黒くなった地面に焚き火の跡が残るだけです。

正月明けの猿投神社

大碓の命は左利きだったので絵馬は左利き用の左鎌です。

御祭神の大碓命はサウスポーだったと伝わっています。

だから大碓の命が喜ぶ左利き用の鎌の絵馬がたくさん奉納されています。

神社裏の猿投山の中腹にはご祭神の大碓命の御陵があります。

ちょうど麓の猿投神社から御陵を見上げて拝むかたちになります。

猿投山を見上げても大碓命の御陵は見えないので、本殿に手を合わせて拝みます。

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正月明けの猿投神社

猿投神社(さなげじんじゃ)

1.創祀、沿革

 創祀(そうし)は、社伝によれば仲哀天皇元年とあり、山麓の本社、東峰の東宮、西峰の西宮を総称し、猿投三社大明神と崇敬されて今日に及ぶ。

 神階は、三河国神名帳に正一位猿投大明神と記されている。

 社格は、延喜の制(967年)国幣の小社。明治の制(1872年)県社。

 一宮制が行われるや三河三宮となる。

 神領は、織豊時代より明治維新まで776石の朱印を与えられた。

 境内外に神宮寺が建てられ猿投白鳳寺と呼ばれ、明治元年まで神仏混淆(こんこう)の地であった。

2.御祭神

 大碓命(景行天皇第一子、日本武尊と双生児)

 景行天皇(第12代)

 垂仁天皇(第11代)

3.大祭

 初午の日(旧暦2月初午の日)

 例祭(10月第2土、日曜日)

4.棒の手(愛知県無形民族文化財)

 奉納期限は不詳だが、天文22年(1553年)

 岩崎城主(現日進市)丹羽勘助氏次公が村民に教え、熟達者が奉納したとある。

 最盛期には三河、尾張、美濃三国より186ヵ村より奉納があり、現在は愛知県無形民族文化財に指定されている。

5.宝物

 太刀 銘行安 平安時代 国指定文化財

 黒漆太刀 無名 鎌倉時代 国指定文化財

 樫鳥糸威鎧 平安時代 国指定文化財

 神号額 鎌倉時代(1304年) 県指定文化財

 馬面 江戸時代(1601年) 県指定文化財

                                     豊田市教育委員会

正月明けの猿投神社

左鎌奉納の由来

御祭神大碓命がこの地方を開拓された御神徳を慕い古来より左鎌を奉納して緒願成就を祈願する特殊信仰がある。

言い伝えによれば、双生児の場合、一方が左遣いあり、大碓命が小碓命(日本武尊)と双生児であるので命(みこと)が左遣いであられた縁によるとも、また災難を断ち切り、豊作・病気平癒などの祈願成就を祈ったともいわれるが、起源は定かではない。

現在は職場交通安全を祈る会社関係の奉納が盛んである。

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