



大鳥大社は日本武尊が九州平定に向かった出発地でもあったような気がする。
無念にも三重県で亡くなってしまった彼の魂が、
想い出の地に大鳥となって戻ってきたような気がしています。
大阪府堺市西区鳳北町にある大鳥大社は、
日本武尊(やまとたけるのみこと)が16歳で九州平定に向かったときの出発地なのか?と、
恐れ多いことを考えてしまいました。
大鳥大社のオフィシャルな由緒とは全く違うことを思ってしまったので、
とても恐縮しています。
それにしても、降り続いた雨が、
石畳や木々を清々しく清めて、とても爽やかです。
大鳥大社は和泉国一宮、日本武尊を祭神とする神社です。




大鳥大社は和泉国一宮で日本武尊を祭神とする神社です。
その歴史は古く、1900年ほど昔、
つまり西暦125年頃にここに鎮座しました。
その大鳥大社の鳥居は、神社の前を南北に通る熊野街道に面しています。
その鳥居をくぐると、本殿に向かって、東にすすみます。
ただ、大鳥大社の本殿は、西ではなく南向きに建てられています。
地図を眺めていると、大鳥大社の北東3.5㎞ほどの所に仁徳天皇陵があります。
そして、仁徳天皇陵から5.5㎞北には摂津国一宮の住吉大社があります。
また、現在は大鳥大社から西に2㎞ほど行くと海で、そこには浜寺公園があります。
鳥居をくぐって振り向くと西側が坂になっていることに気がつきます。
太古の昔は、この辺りまでが海で、波打際だったような地形が気になります。

大鳥神社の鳥居のすぐ西側は昔は海岸だった?
大鳥大社、仁徳天皇陵、住吉大社の位置関係を見ていると、
遣隋使や遣唐使の時代でった、西暦600年代には、
住吉大社の鳥居のあるすぐ西側は、松原と白い砂浜が広がっていたそうなので、
住吉大社、仁徳天皇陵、大鳥大社、を繋ぐ南北のラインは、
昔は海岸線だったと考えられます。
住吉大社が西暦211年、 仁徳天皇陵、西暦450年頃に出来たと伝わっているので、
この辺りでは、125年頃に鎮座した大鳥大社が一番古くからあったことになります。
大鳥神社の標高は14.9mで、680m東の石津川辺りが10.4mです。
一方、西に向かうと熊野街道の鳥居前が14.8m、国道26号線の交差点が11.5mとなり、
1,550m離れた海岸近くの高師浜線の浜寺駅前駅が2.8mとなっています。
大鳥大社はちょっとした高台にあります。
日本武尊は西暦72年生まれと伝わっています

日本武尊の誕生は西暦72年大和国 16歳で九州の熊襲征伐に向かう。
亡くなったのは 西暦113年?伊勢国なので、年代的には大きな矛盾はなさそうに思います。
それから、興味深いのは住吉大社も大鳥大社も、ともに海のある西側に鳥居があるので、
その方向が神社の正面になります。
深い意味は分かりませんが、それは単なる偶然ではないように思います。
そういったことを考えると、
日本武尊が、三重県の能褒野(のぼの)で亡くなってしまった後、
彼の魂が八尋(はちひろ:両手を広げた八倍の長さ、非常に大きいこと)の
白い大鳥となって飛び立ち、
この鳳の地に降りたという伝説が有名です。
また、16歳の日本武尊は、父の景行天皇の命で、
九州の熊襲を再び平定するために、船出した場所なのかも知れません。
これは余りにも大胆な想像なのは承知していますが、
仮に、もしそうだったとしたら、
大鳥神社は、港としての機能と、軍事施設としての機能を担った可能性が
考えられるようになります。
住吉大社と同じように、大鳥神社の鳥居のが、
海の方角、西を向いている理由を考えていたら、
そんなイメージが降ってきました。
大鳥大社 https://www.ootoritaisha.jp/
住吉大社 https://www.sumiyoshitaisha.net/
*この記事は筆者が大鳥大社に来て感じたことを書いているので、由緒や定説とは異なります。