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名古屋から見える養老山地には古代の鉄に関係する歴史が隠されている。

名古屋から見える養老山地

名古屋から見える養老山地をを背景にして、

名古屋の繁華街、栄の中日ビルと、41階建て高さ211mの

「ザ・ランドマーク名古屋栄」(2026年夏開業予定)が見えます。

その向こうは名古屋駅前のビル群です。

右のカーブしている壁面のビルがルーセントタワー、JPタワー(日本郵便)、

JRゲートタワー、大名古屋ビルヂング、JRセントラルタワーズ、

ミッドランドスクエアビル、そして左(南)に少し離れて

スパイラルタワーが見えています。

名古屋のビル群の背景の山々は養老山地と鈴鹿山脈です。

 

ちょうど名古屋のビル群の背景のように見えているのは養老山地です。

もうお気づきの方もいらっしゃると思いますが、養老の滝伝説で有名な

養老の滝がある養老山地です。

この撮影ポイントの東山スカイタワーからgoogleマップを使って写真に写っているビルや山までの距離を測ってみると、

手前の中日ビルまでが6.5㎞で、名古屋駅のJRセントラルタワーまでが

8.5㎞です。

そして、養老山地の麓までは34㎞離れています。

また、養老山地の向こうには鈴鹿山脈があり、山頂がわずかに見えています。

雪で白く見えているのは霊仙山(りょうぜんざん)1098m。

ビル群の左に少し尖って見えている山は烏帽子岳(えぼしだけ)865m。

その左に見えてい山は三国岳911mです。

養老山地の北隣の南宮山の南宮大社と、養老山地の南端の多度大社は共に鉄に関係する神社です。

名古屋から見える養老山地

養老山地と谷を挟んですぐ北にある南宮山の南宮大社と、養老山地の南端の多度大社は

共に鉄に関係する神社です。

この写真を見ると雪をかぶっているのが伊吹山で、

裾野に低く見えているのが南宮山です。

その南宮山の向こう側、低くなっているところが関ヶ原です。

そして、左側に養老山地が続いています。

重なっているのではっきりとは分からないのですが、養老山地の向こう側には

鈴鹿山脈が並行して南北に続いています。

この写真をご覧頂くと、名古屋市内とその向こうの、西に見える山々の

位置関係がよくわかります。

この写真の方角は西です。

右が北、そして左側が南の方角になります。

養老山地の北と南に鉄に関係する神社があります。

養老山地南端多度大社付近と鈴鹿山脈雪の竜ヶ岳1099m

養老山地の北端の谷を隔ててすぐに南宮山があり、そこには南宮大社が鎮座しています。

南宮山は関ヶ原の戦いでは毛利秀元や吉川広家、長束正家らが

陣を置いたところ、ということでも有名です。

美濃国一宮の南宮大社は、鉱山や鉄に関係する神様です。

美濃国一宮の南宮大社は、鉱山や鉄に関係する神様ですが、

南宮大社のすぐ北の不破赤坂にある金生山(かなぶやま)は極めて良質とされる

鉱脈が露出している鉄鉱石の鉱山があり4世紀頃から鉄が生産されていました。

現在はその形を変えているようですが、

古代には鉄は朝鮮からの輸入に頼る以外に方法のなかった貴重な金属です。

金生山で鉄鉱石の鉱脈が見つかり、それが採掘され精錬加工されたものが、

供給され始めました。

そのような古代の出来事とともに、南宮大社の鉄との深い繋がりが伝わってきます。

伊勢国二宮多度大社の別宮は製鉄、鍛冶の神様です。

また、養老山地の南端には、上げ馬神事で有名な伊勢国二宮の

多度大社が鎮座しています。

その多度大社には別宮があって、その神様は製鉄、鍛冶の神様です。

養老山地の北には鉄鉱石の鉱山があり鉄や鉱山の神様、南宮大社が鎮座し、

一方の南端には、製鉄や鍛冶(金属加工)の神様が多度大社に祀られているのは、

この地域の古代の鉄の生産と加工関する歴史と深い関係がありそうです。

それは誰でも考えられる内容ですが、次のような背景があったからでしょう。

古代に、金生山から掘り出された鉄鉱石が精錬されて鉄になり、

杭瀬川で船積みして揖斐川に入り、多度大社のある桑名周辺まで運ばれていました。

多度大社のある桑名では鉄を様々な鉄器(武器や農具)に加工していたと考えられます。

川船から外洋に出るための海船に積み替える必要性から、

積み荷を伊勢湾の桑名で積み替えるときに

鉄製品の加工という産業が興ったと考えるのが考えやすいと思います。

そこで製品化されたものを、海船を使って伊勢や大阪、

そして奈良にまで運んだのでしょう。

それとは別ルートの、関ヶ原を越えて琵琶湖から京都や大阪、

奈良へと、ここでも川を利用して鉄が運ばれたことも考えられます。

名古屋から見える山と高層ビルの写真から

名古屋から見える山と高層ビルの写真を眺めていると、

多くのことが思い起こされてしまいます。

鉄に関すること、船の輸送のこと。

桑名は古くから、揖斐川、木曽川、長良川流域から川船で運ばれてきたものを、

海船に積み替えて全国に輸送する拠点でした。

また、養老山地のこちら側と向こう側の二手に分かれて関ヶ原の戦いの

撤退戦をおこなった島津隊の撤退ルートのことも思い浮かびます。

写真取材が間に合わなくても先に文章だけでも記事にしておきたいと

考えているところです。

・参考:古代の鉄生産について : 美濃・金生山の鉄をめぐって 著者 八賀晋

・南宮大社 https://www.nangu-san.com

・多度大社 https://tadotaisya.or.jp/

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